ヤグヲの本領発揮!ドミトリー・アリエフのEXは「仮面の男」!!

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(世界ジュニア選手権EXより)

今日、世界ジュニアはEXが行われ、水曜から始まった闘いも幕を閉じました。
というわけでしみじみしているのですが・・・・
しみじみの訳はもう1つあって。

なんと、ジーマのEXプロは今までのリュベーのロシア語ヴォーカルの曲ではなくて、なんと「仮面の男」だったのでした!

ジーマのEX

この中で彼は2Lo-1Lo-3S-1Lo-3Sをやってますが、これはおそらくナショナルのEXのリベンジでしょう。彼のFSの3Lo-1Lo-3Sは見せ所のひとつなのですが、本番では3Loの着氷で転倒してしまい、これができなかったんですね。で、EXでは、3Lo-1Lo-3S-1Lo-3Sをやってきたんですが、最後の3Sが回転不足でおっとっと、になってしまったので、今度こそ、と思っていたんでしょう。今回は最初の3Loがダブルになってしまいましたが・・・・

また、衣装(部屋着ではない)の感じからすると、多分最初からEXでは「仮面の男」。そのつもりで準備していたんだろうなー、と思います。

なんといっても昨日は彼が愛してやまないアレクセイ・ヤグディンの誕生日でしたから!

おそらく彼なりに、ヤグディンへのリスペクトの気持ちを表したかったんじゃないかな。そして、変更してしまったとはいえ、やっぱり彼自身このプログラムに愛着があったのだと思います。
この曲を決めたときのことをインタビューで彼はこのように述べています。

「僕はヤグディンの滑る「仮面の男」を何度も繰り返し見ました。しかし、僕は真似をしようとしたのではありません。
リョーシャのそれは彼だけのもので、リョーシャがやったようには、他の人には誰も再現できないからです。彼はオリンピックでこのプログラムを理想的に滑りました。
ええ、僕は本当に僕のこのプログラムが気に入っていました。けれども、この曲を選んだのはリョーシャが原因ではありません。
僕たちは2つの曲のなかから、「仮面の男」を選びました。なぜならば、音楽が僕に鎖で繋がれるような感覚で繋がったからです。この音楽は力強く男性的で、その中に鋼(はがね)を感じさせます。」
出典はこちら

ここでジーマが「音楽と僕が鎖で繋がれるような感覚でつながった」といっているのが、衣装のイメージにも現れているのでしょう。

ジーマの競技版「仮面の男」(JGPSオストラヴァ大会)

ジーマにとってこれは競技プロとしてクワドを2本入れてまとめ上げた記念すべきプログラムでもあります。愛着もひとしおだったことでしょう。しかし、「仮面の男」といえばやっぱりソルトレイクのアレクセイ・ヤグディン、というイメージが確立していて(本田武史もやっていて、それもとても素晴らしく私は大好きですが!)いろいろ回りから言われたりもしたのかなぁー、と、プログラムを変えたときはとても残念に思ったのですが・・・
ジーマならジーマの「仮面の男」として人々の記憶に刻まれるものが滑れる、と思っていただけに残念でした。しかし、新しいFSも急ごしらえとはおもえない素晴らしい出来で、それがかれにメダルをもたらしたのですから、結果オーライといえるのかな。

そしてこちらがヤグディンの「仮面の男」です。

ジーマは昨年のインタビューで、ヤグディンと自分の関係について、質問者とこのようなやり取りをしています。

D:「リョーシャ・ヤグディンと彼の「ウインター」、そして僕の大のお気に入りの「仮面の男」。
お父さんは仕事に出かけ、お母さんはソファに座ってテレビをつけます。そして僕は部屋に行って、ヤグディンの映像を眺めては、そのままカーペットの上で、靴下とパンツ、という姿のまま、彼のあらゆるステップの動きをマネっこしました。スリーターンからトウループに入る、その仕草もやってみました。跳び上がれはしませんでしたけどね。これが毎日続きました。真似して、真似して、何度何度もやってみて、めんどくさくなることも、疲れさえ知らずに続けていました。ステップをして、スピンをして・・・ 挙句の果てにチェストにぶつかって倒したこともあります。」
Q:「氷上で演じることはないんですか?」
D:「『仮面の男』を?とんでもない!こんな素晴らしい作品を創り上げることができるのはヤグディンだけですよ!他の誰も同じ滑りなんてできない。」
Q:「例えば「ヤグディン生誕50周年記念祭」のようなものがあったとして、あなたはこのプログラムを滑って彼を喜ばせることはできませんか?」
D:「コピーをすることはできます。そして彼が喜んでくれるのであれば、それは素晴らしいことです。しかし、2002年のソルトレイクの「仮面の男」は唯一無二のものであることには変わりなくて、誰の、なんの影響も受けはしません。」⇒出典はこちら


このように述べていたジーマが、世界ジュニア選手権のEX、という晴れの舞台で、この「仮面の男」をあえて演じた、ということはやっぱりヤグディンへの強いリスペクトの証なのかなーと思ったりもします。いや、ヤグヲである私としてはそうであってほしいなー、と思ったりもするわけで。もしそうなのだとしたら本当に嬉しいなぁ、と。

そして、このEX版「仮面の男」も嬉しいサプライズだったわけなのですが、本来のEXの方も見たかった。というか、たくさんの人々に見ていただきたかったです。

というわけで貼ります。ロシア選手権でのEX。ジーマのえぐいまでの濃厚、というか重みのあるエッジ使いが十二分に生かされていて、これはこれでとても素晴らしいプロだと思います。


そしてフィナーレ。ジュニア選手権のEXフィナーレは学芸会的な手作り感、というかわちゃわちゃ感があって、とても微笑ましくて良いのですが、今回はいつにも増してカオスになってました。現場で見ていた方、羨ましいなぁ。ホント、目がいくつあっても足りない!って感じだったんじゃないでしょうか。
一芸大会、ジャンプ大会、ニースライド祭り・・・と、ほっておいたら一日中でもやっていそうな。みんな、本当にスケートが好きなのでしょうね。

フィナーレ



最後はセルフィーで締め。みんないい顔していますね!
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こうして世界中から集まった選手たちが、スケートという競技を通じて友人となり、またライバルとして切磋琢磨してシニアになってもつながりが続いていくのでしょうね。本当にいいなぁ、と思います。
シニアに上がる選手たち、ジュニアに残る選手たち、道は様々だと思いますが、全ての選手たちの未来に幸あれ!


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シニアへの旅立ち― ドミトリー・アリエフ 世界ジュニア選手権総括


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(FS後のキスクラにて。左よりルカヴィツィンコーチ、ジーマ、振り付けのグリンカ女史)


まれに見る高得点続出で、「ジュニアおそるべし」という感じで終えたフィギュアスケート世界ジュニア選手権男子シングルですが、FSでクワドルッツを含む複数クワドをクリーンに決めたヴィンセント・ジョウがSP5位からの逆転優勝、そしてジーマは2位、ついで同じロシアのアレクサンドル・サマリンが3位、ということで幕を閉じました。というわけで、今回はジーマことドミトリー・アリエフにスポットをあててみました。

世界ジュニア選手権リザルトページ

昨年の世界ジュニアでのジーマは、SP1位で折り返したものの、FSで崩れ、表彰台を逃す、という結果に終わりました。なまじSPの結果が良かっただけに本国での期待は膨らみ、崩れて結果を出せなかったことについては、かなり批判も浴びたようです。しかし、その際にしっかりと支え、傷ついたジーマをフォローしてくれたルカヴィツィンコーチとの絆は一層深まり、振付師のグリンカさんやモロトフさんともガッチリと信頼感で結ばれたチームが出来上がったような感じを受けます。


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(左より、モロトフさん(FS振り付け)、グリンカ女史(SP振り付け)、ジーマ、ルカヴィツィンコーチ)


ジーマのルカヴィツィンコーチに対する思いはこちらに⇒ドミトリー・アリエフ:僕にとってコーチは第二の父であるという結論に達しました。

そして2年連続のロシアジュニアチャンピオンとして迎えた今年のジュニアワールド。
まずはSP。
3A/3Lz-3T 3Lo
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この「オブリヴィオン」の哀愁を帯びた旋律に負けない深いエッジの濃厚な滑り。「ジュニアかよ・・・」という感じを受けた方も多いのではないでしょうか。美しい3Aから、曲の盛り上がりに合わせての伸びのあるスパイラルからの3Lz-3Tコンビネーション。そして美しいフリーレッグを生かした3Loの出の動作からのニースライド。本当にこのプログラムは1つ1つのエレメントがパズルのピースのようにしっかりとハマり、美しい旋律を紡ぎ出しているかのようです。
ジュニアナショナルでは、コンボの入りがFSと同じステップからに変更されていて、ちょっとがっかりしたのですが、この大会では復活していて安心しました。
このジュニア版「オブリヴィオン」は、私の今まで見てきたSPプロの中でも最高クラスに位置すると思います。本当に素晴らしい。

そしてFS。
4T 3A-2T/3A 3Lz-3T 3Lo-1Lo-3S 3F< 3Lz 2A
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ヴィンスの素晴らしい演技の後、ペトロフ、サマリン、ジュンファン、とクワドの決まった素晴らしい演技が続き、正直昨年の二の舞になってしまうのでは・・・とも思いました。
しかし、ジーマは強くなっていました!
冒頭の4Tでこそお手つきしましたが、あとはしっかりと立て直し、ニースライドからの3Fに回転不足が付いたほかは、特に大きな取りこぼしもありませんでした。特にStsqではレベル4を取り、中でもGOE加点3を付けたジャッジが2人いました!本当に、このステップで彼に魅了された方は多いのではないかと思います。

ジーマはJGPF後のインタビューで、

“Q:あなたがプログラムに4回転トウループ1本のみを残すことにしたのは、演技により安定性を求めてのことですか?

D:はい。僕は、僕たちが磨き抜いてきた質の高いプログラムと4回転トウループを見せたかったのです。
クワドを2本にすると、少し質が落ちてしまい、ジャンプに追いかけられるようになって、プログラム全体がクリアに見えなくなってしまう、ということもわかりました。
シニアのグランプリシリーズフランス大会で、アダム・リッポンは1本の4回転ジャンプで構成された180点を獲得する素晴らしいフリースケーティングをしました。
その後、エフゲニー・ウラジーミロヴィッチ(ルカヴィツィンコーチのこと)が戻って来て、クワド1本でやってみよう、そのかわり、クリーンで質の高い、洗練されたスケーティングを見せるんだ、と言いました。1本の4回転ジャンプを持つアメリカ人のスコアは、他の2本、3本の4回転ジャンプを持つアスリートとほぼ同じ点数だったのです…”

という問答をしています。詳しくは⇒ドミトリー・アリエフ:「僕はファイナルへの扉を最後に閉めて、それを最初に開いた」(2) 

今年のFSプログラムはクワド1本で行く、という決定はここでなされたのでしょう。
世界ジュニアが近くなり、多くの選手が複数クワド投入を表明する中、焦りがなかったはずはありません。しかしジーマは、その決定を信じ、プログラムを信じ、答えを出しました。

実際、ジーマは今年のJGPS第一戦のオストラヴァ大会で見せたように、(当時は変更前のプログラム「仮面の男」でした)クワドを2本入れてもプログラムをまとめあげる力は持っていますし、練習では4Lzも4Sも成功させているそうです。

こちら「仮面の男」

これもいいプログラムだと思うんですけれどね、うーん。

ただ今回のFSプロは、私が思うに、クワド1本だからこそ生きるのだと思います。冒頭の4Tから長めのつなぎ動作を経て全くタイプの違うジャンプである3Aからのコンビネーション。そしてスピン、ステップ、そして後半の6ジャンプ。
高難度ジャンプを見せておいて、即じっくりと彼のスケーティングを生かしたステップで魅せる。
このスケーターはジャンプだけではないぞ、とここでしっかりとアピールするわけです。心憎い演出です。実際、この滑りでジーマに落ちた人は多いと思うんですよ。
複数クワドにするとすれば、後半6ジャンプはきついでしょうから、ステップの位置も変えざるを得なくなるでしょうし、つなぎ動作も減ってしまうでしょう。となれば、現在これだけ高く出ているPCSもある程度は低くなってしまうかもしれません。
このプログラムを作り上げたのはアイスダンス出身のワレンチン・モロトフさんですが、彼は選手の個性を引き出し、かつその良さを見せつけるようなプログラムを作ることに非常に長けていると思います。

そして、上の写真でも分かるように、FS後のキスクラで一番喜びを爆発させていたのは、コーチのルカヴィツィン氏でした。これだけ早くジュニアの技術進化の進みが早く、多くの選手がクワドを投入してくることは、彼にも予想外のことだったかもしれません。プレッシャーは相当なものだったのではないでしょうか。その中で、自分の生徒を、また配下の振付師たちのプログラムを信じ、彼らもそれに応えた。本当に嬉しかったことでしょう。
そしてジーマも「第2の父」と慕うコーチの信頼に応えることができて、きっと嬉しかったに違いありません。昨期のジュニアワールド、FSで崩れ涙ぐみながらリンクサイドに戻ってきたジーマを無言で強く抱きしめていたコーチの姿がよぎり、私は思わず涙してしまいました。

そして、来期からジーマはシニアに駒を進めることになるわけですが、それにしてもこの大会はとても良いステップになったと思います。もちろん優勝してシニアに進むにこしたことはありませんが、いやー、ヴィンスにあれだけの演技をされてしまえばお手上げです。逆に良い目標ともなったことでしょう。

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(表彰台メンバー。ジーマ、ヴィンセント・ジョウ、アレクサンドル・サマリン)


選手権で台乗りを果たしましたから、来期のJGPS出場枠も増やすことができ、またこれはサマリン、ペトロフの活躍もありますが、ジュニア選手権の枠も3枠に保ち後輩たちに託すことができました。女子だけではなく、男子もジュニア・ノービス勢が伸びてきているロシアとしては、特にJGPSの出場枠の増加は嬉しかったことに違いありません。また、ジーマ自身もシニアのGPS2大会の切符を持ってのシニア昇格となります。五輪切符へ向けての大きな一歩です。
昨期の雪辱も果たし、心置きなくシニアに上がって行けるでしょう。彼の来期の活躍を心から期待しています!



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スキーヤー一家のスケーター ドミトリー・アリエフ (1) 羽生の宇宙に向かって


0_4_aliev.jpg (記事より)

一月にコミ共和国(ジーマの故郷)の報道サイトに載ったジーマの紹介記事です。
なんとかジュニアワールド前に上げることができました。これを見て、ドミトリー・アリエフというジュニアスケーターを少しでも知っていただけたら嬉しいです。
まずは前半部分です。彼の実績や今までの道のりとともに、スケートをはじめたきっかけや五輪に向けての思い、そして家庭環境などです。
今回もロシア語者の友人にチェックをお願いしました。いつも本当にありがとうございます。本当に感謝しています。m(_ _)m

++++++++++

<ウフタ人のドミトリー・アリエフは韓国での五輪に出場することを夢見ている>

17歳のドミトリー・アリエフは、ウフタの凍った湖で2005年にスケートを始め、そして昨年の12月にマルセイユで行われたジュニアグランプリファイナルにおいて優勝した。現在、サンクトペテルブルグのフィギュアスケートアカデミーで、著名な指導者であるエフゲニー・ルカヴィツィンが彼を指導している。『レスプーブリカ(共和国、の意)』記者は、コミの産業の首都に、アスリートが生まれ故郷にいた際の年末の休暇中を尋ねた。

<ノールトゥグからヤグディンへ>

ウフタ ― それは偉大なホッケーの伝統を持つ都市である。
昨世紀の50年代から、さまざまな時代にここで「ネフチャンニク」チーム(後になって「トゥルート」(労働の意味)と名前を変えた)と「テフノログ」チームがプレーしていた。
これらのチームは、ゴールキーパーのニコライ・リューや、フォワードのセルゲイ・カプースチンなどの名選手を輩出した。特に、2012年には後者の名を冠した2000席の規模のスタジアムがウフタに建設された。しかし象徴的なことに同じ年、地域のスポーツ界は今回はホッケーからではない新しい才能の出現を認識した。

オリンピックチャンピオンのマキシム・マリーニンは、
«Зимняя Ыбица»(訳注:本来は「イビサИбица」だと思われますが、ここでは「Ыбица」と書かれていて、本来のロシア語の語順にはない言葉が用いられています。コミ語から来ているのかもしれません。強いてカタカナに置き換えると「ジームナヤ・ウィビサ」となります。「ジームナヤ」は「冬の」の意なので、「冬のイビサ」といったような意味合いだと思われます。以降、このエントリーではこの読みを用います)
というスポーツフェスティバルのマスタークラスで、フィギュアスケーターのドミトリー・アリエフを見出し、この少年を援助することを決めた。そして2度のオリンピックチャンピオンのエフゲニー・プルシェンコを育てたサンクトペテルブルグの有名なコーチ、アレクセイ・ミーシンの選抜会(訳注:選手を見て、手元に引き取るかどうかの演技会のようなもののようです)にこのウフタ人が出場できるよう協力した。
また、スペシャリストは少年にいくつものアドバイスをも与え、ドミトリーは、今でもそれらと北の都(サンクトペテルブルグのこと)への旅や「ジームナヤ・ウィビサ」のことを重要に思っている。

「『ジームナヤ・ウィビサ』は大きな転機をもたらしました。」
ドミトリー・アリエフは言った。
「そこに最高レベルのフィギュアスケーターが参加する、、と聞いたときはもちろん嬉しかったですし、興奮しました。反面、とても不安にもなりました。マキシム・マリーニンは、その時からずっと僕の成功を見守ってくれていて、お母さんに僕の上達ぶりと、そしてそれが喜ばしいと手紙を書いてもくれました。鍵となったのはエフゲニー・ウラジーミロヴィッチ・ルカヴィツィンの選抜会でした。僕は、その前の練習がうまくいっていなかったので、ペテルに到着したときは荒んだ気持ちだったのを覚えていますが、結局は全てがうまく行きました。」

ウフタの少年は、エフゲニー・ルカヴィツィンのもとで、2014年に国際試合で初の成功を遂げた。コミ出身者は、8月にスロベニアのリュブリャナで開催されたジュニアグランプリシリーズ第二戦において3位を獲得した。
スポーツ関係の専門家たちは、14歳にして4回転3回転トゥループのコンビネーションジャンプを既に跳んでいた彼を、ナショナルチームの代表になるポテンシャルのあるリーダーの一人に数えられる、とドミトリー・アリエフに注目した。

スケーターはウフタに新年を祝いに帰ってきたが、しかし休暇中でも調子を落とすことは許されない。ジャーナリストたちの訪問は彼のカプースチン記念アイスアリーナでのトレーニングと夕方の距離スキーに同行した。
このスケーターのスポーツへの道は、クロスカントリースキーから始まったのだ。

スケーターの父、セルゲイ・ワシーリエヴィッチ・アリエフは、ウフタの幼少年第一スポーツ学校(ДЮСШ №1 )のディレクター(校長)で、コミ出身のベストスキーヤーの一人でありナショナルチームの一員であるスタニスラフ・ヴォルジェンツェフを育てたコーチでもある。もちろん、セルゲイ・アリエフは息子の中に将来のスキーヤーを見た。ドミトリー自身もクロスカントリースキーを気に入った。
ドミトリーは、幼い頃はスキーレースで2度の五輪チャンプとなったペッテル・ノールトゥグの最盛期だったので、彼のスキーをまねるように努力したと語った。
しかし、後にフィギュアスケートを試すことを勧められ、その上、彼の最初のトレーニングが行われた場所は、ウフタには長いことアイスアリーナがなかったため、凍った湖と、普通の格納庫を流用したリンクだった。


「僕がまだスケートの仕方を全く知らない時に、コーチのヴャチスラフ・エフゲーニエヴィッチ・マクシーモフがスケートの練習のために湖に呼びました。そして、それは偶然からでした。僕が仕事をしているお父さんを待って鉄棒で遊んでいた時、彼がそばを通りかかったのですが、僕がとてもバランス感覚がいいのに気がついたのです。
初めてスケート靴を着けて、すぐに走り回りました。僕はまだ6歳くらいでした。上着を着て、帽子をかぶって滑りました。僕は試合での最初の衣装を今でも覚えています。お母さんがタートルネックを買ってきて、それと帽子に厚紙で作った星をつけてくれました。その試合は、格納庫の中に作ったリンクで行われました。」

と、ドミトリー・アリエフは当時を思い出して言った。

11歳まで、彼は2つのスポーツ成功裏に両立していた。しかし、その後難しい選択を迫られるときがやってきた。

「クロスカントリースキーとフィギュアスケートの練習をする毎日が続きました。あちこちに奔走していました。 僕は、このまま長いこと両方を続けることはできない、とわかりました。僕はフィギュアスケートの方がより好きに、身近に感じられるようになっていたのです。」

彼は述べた。

ドミトリー・アリエフは、フィギュアスケートの重要な手本の一人は、オリンピックチャンピオンのアレクセイ・ヤグディンだという。彼は幼い頃、部屋で立ち上がって、インターネットから流れてくるヤグディンがソルトレイクシティ五輪で金メダルを勝ち取ったフリープログラム「仮面の男」を見ては、夢中になって何度も繰り返し真似をしていたことを思い起こす。
今シーズン、ドミトリー自身はヤグディンの演じたその曲で臨んだが、しかしリュブリャナでのジュニアグランプリシリーズ第2戦の失敗の後、これをアレクセイ・ヤグディンが演じたように滑れる者は誰もいないし、いつになっても現れない、と悟ったのでそれを変える決心をした。


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(2015年グランプリファイナルのバンケットにて。ジーマと羽生結弦)

<羽生の宇宙に向かって>

ロシアが男子フィギュアスケートの巨人であった時代は過ぎ去り、その黎明期のアレクセイ・ヤグディンやエフゲニー・プルシェンコなどといったヒーロー達の代わりに、今や中国や日本のアスリートたちが席巻している。ソチオリンピックでは、それぞれのエレメンツを極め付きな難しさで演じた22歳の日本人、羽生結弦が優勝した。彼はまた、2018年に韓国で行われる第23回冬季オリンピックの有力な優勝候補のひとりでもある。
それにも関わらず、「ソヴィエツキースポルト」紙のインタビューにおいてエフゲニー・ルカヴィツィンは、彼の教え子は高いいくつもの目標を掲げており、その一方で羽生の存在はより正確に言うと明るい刺激材料で、彼の力の前にひれ伏すのではなく、むしろ彼を追って宇宙に飛び立つという起爆剤となると述べた。


“力”は韓国五輪へ出場権のための戦いに没頭し、ドミトリーに12月のマルセイユでのジュニアグランプリファイナルでの勝利を与えた。
2位にロシア選手のアレクサンドル・サマリン(236.52点)を残し、彼は240.07点を獲得して優勝した。3位は韓国のジュン・ファン・チャ(225.55点)だった。
大会でのコメントで、ジーマ・アリエフは、調和がとれていて、氷上で音楽的で、自然かつ優美であると指摘したのは、伝説的人物タチアナ・タラソワであった。
スケーターの他の主な戦績には、昨期のバルセロナで行われたジュニアグランプリファイナルでの銀メダル、2016年にリレハンメルで行われたユース五輪で獲得した、金メダルと銅メダルがある。

最初に、熾烈な選抜を通り抜け五輪への切符を手にするために、ドミトリーは自身のすべての力を出しつくすと約束した。

「丸々一年あります。が、4年に一度の大会ですから、これに向けては、真剣に責任を持って臨まねばなりません。僕はオリンピックに出場するために、そしてそこでより良い演技を見せるために、このスポーツに自らのすべてをつぎこみ全力を尽くします。
もしも代表選抜に勝ち残ることができたなら、ユヅルやその他のスケーターたちと伍して戦うことができることを、自分にそして国の人々全員に証明できるよう努力します。」

と、ドミトリー・アリエフは言った。

=====ロシア語本文=====

+++++++++++

昨年はSP1位でありながらFSで崩れ、残念な結果に終わったジーマ。今年こそはその雪辱を果たしてもらいたいものです。
頑張れ、ジーマ!


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ドミトリー・アリエフ:「僕はファイナルへの扉を最後に閉めて、それを最初に開いた」(2) ―ジュニアグランプリファイナル男子シングル


C0xDN-kUUAA8ZV3_20161231020248c97.jpg (ロシアのスポーツサイトより 左はルカヴィツィンコーチ)


ジーマのジュニアグランプリファイナル後のインタビュー、続きです。⇒(1)はこちら
この記事は2016年の12月13日に発表されたものです。インタビュアーは、オリガ・エルモーリナさんと、タチアナ・フレイドさんです。
筆が遅いため、遅くなってしまってすみません。待ってくださった方(いらっしゃいます?)ごめんなさい。
今回もロシア語者の友人にチェックをお願いしました。いつも時間を割いてもらってありがとうございます。どんなに感謝してもしきれません。m(_ _)m


++++++++++
ドミトリー・アリエフ:「僕は最後に扉を閉めて、それを最初に開いた」(2)


Q:演技の中で、感情的な側面と高難度な技術要素を融合させることはどれくらい難しいことですか?

D:最初のエレメンツに高難度ジャンプに挑戦することが必要です。まず一本のクワドを入れることから始め、クワドを入れたプログラムに慣らしていくのです。クワドを入れることにより、それはより難しくなり、別のプログラムになるのです。頭の中でさえね。
クワドからスタートするとき、それを必ず射撃のように一撃で正確に決めなければなりません。的に当たれば、よし。
もしも当たらなければ、再び狙いを定めなくてはなりません。もしも2回目にうまくいったら、再び念入りに試みることが可能になります。まず第一には、クワドを入れてみて、やってみることです。
1週間前、まだファイナルの準備をしているときには、プログラムの中でどのジャンプを跳ぶのかわかりませんでした。
そして練習の時にクワドルッツを跳び、さらにサルコウを試しました。そしてそれが成功しました。
もしもこれらのジャンプをも計画に則って、練習の中でできるようになれば、いずれはこれらをプログラムに入れることができるようになるでしょう。もしも音楽と一体化できたら、これらを成功させられる、と思います。もしもバテることなくジャンプを跳んで、プログラムを通して滑りきることができたら、すべてのエレメンツをスムーズに失敗なく行うことができたら、多分すごいものが出来るでしょう。

Q:ファイナルの結果についてコメントしたISUの副会長であるアレキサンドル・ラケルニクは、ジャンプの軌道に入ったら、何も考えずに跳べばいいんだ、と述べました。

D:同感です。どのように入れるか、どうしたらよいかを考え始めたら、時間を無駄にしてしまいます。頭で考えていては反応しきれずに、質の悪いジャンプを跳ぶことになってしまいます。

Q:あなたがプログラムに4回転トウループ1本のみを残すことにしたのは、演技により安定性を求めてのことですか?

D:はい。僕は、僕たちが磨き抜いてきた質の高いプログラムと4回転トウループを見せたかったのです。
クワドを2本にすると、少し質が落ちてしまい、ジャンプに追いかけられるようになって、プログラム全体がクリアに見えなくなってしまう、ということもわかりました。
シニアのグランプリシリーズフランス大会で、アダム・リッポンは1本の4回転ジャンプで構成された180点を獲得する素晴らしいフリースケーティングをしました。
その後、エフゲニー・ウラジーミロヴィッチ(ルカヴィツィンコーチのこと)が戻って来て、クワド1本でやってみよう、そのかわり、クリーンで質の高い、洗練されたスケーティングを見せるんだ、と言いました。1本の4回転ジャンプを持つアメリカ人のスコアは、他の2本、3本の4回転ジャンプを持つアスリートとほぼ同じ点数だったのです…

Q:しかし、この課題は分かっていることですが、現時点でのものですね。

D:もちろんです。トリプルジャンプでオリンピックの男子の試合で優勝できた時代は過ぎ去りました。

Q:あなたの話を聞いていると、何故あなたがクロスカントリースキーではなくフィギュアスケートを選んだのか、だんだん分かってきました。

D:はい。僕はクロスカントリースキーに取り組み、良い成績を上げていました。しかし、フィギュアスケートの方がより好きになっていたのです。4年間、スキーだけでなく、ほかのスポーツもやっていました。毎日、16時にはスキーのトレーニングに行き、18時からはアイスリンクにいました。一日中、あっちこっちに行っていました。

Q:あなたはあなた自身でフィギュアスケートをしたいと思ったのかしら?

D:いいえ、それは偶然だったのです。あるとき、僕はお父さんの仕事の帰りを待って、鉄棒のところでふざけていました。そのそばを後に僕の最初のコーチになったべチャスラフ・エフゲーニエヴィッチ・マクシーモフが通りかかりました。そのとき僕は彼を知りませんでしたよ。彼は僕がとても運動神経がいいのに気づいて、夜の8時に湖においで、と誘ってくれました。

Q:あなたはスケートができたのですか?

D:いいえ。けれど初めてスケート靴を履いて、直ぐに走りまわることができました。その時僕は6歳くらいでした。
面白い話なんですけど、僕のお父さんはスポーツ学校のディレクターで、そこには色々な設備があります―スキートラック、競技用スケートリンク(といってもマイナス20~25度の格納庫ですけれど)。そういった全てのものを管理しています。そしてマクシーモフは、10年くらい会っていませんでしたが、以前は僕のお父さんととても親しい仲の友人だったことがわかったんです。僕が彼らを再び結びつけることになったのです。マクシーモフは、お父さんのリンクで働き始めました。
コーチは僕に刺激され、最初は僕を中心にして練習していました。コーチはとても僕を厳しく叱咤し、教えてくれました。
そしてその頃既に、僕は自分が一緒に練習している同年代の子たちとは少し違っていることがわかっていました。みんなには課題を与え、そして彼らはでんでん虫のように滑り始めました。その一方でコーチは僕につきっきりで…。
そして僕たちはサンクトペテルブルグにコーチを探しに行きました。でも、何回行ってもとってもらえなくて…。

Q:あなたたちは何度くらいそうやって行き来したのですか?

D:4回、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ミーシンのところに行きました。僕はとってもらえませんでした。その後、僕はウフタの家に帰りました。
そして、しばらくしてから、グループの仲間と一緒にサンクトペテルブルグのトレーニングキャンプに行きました。そこではルカヴィツィンの知り合いの女性のところで練習しました。彼女はエフゲニー・ウラジーミロヴィッチに、僕が演技を見せるために来ていることを話しました。そのとき、僕は3回転ジャンプにトライしました。そして演技を見せた3日後に、ルカヴィツィンは僕をとってくれると返事をくれました。
しかし、僕はそのもっと前にエフゲニー・ウラジーミロヴィッチと知り合っていました。僕が最初のコーチとともに、フィギュアスケートアカデミーに行った時です。そこでマクシーモフの孫娘が練習していたのです。僕はその時出た大会で最下位になったことを覚えています。2つのプログラムを滑って、スコアは70点でした。その時僕は9歳くらいでした。アカデミーでの練習の合間に、僕は卓球をしました。上手くプレーできて、すべてのボールを打ち返しました(僕たちは、僕の最初のコーチと一緒に、卓球やサッカーをたくさんやっていました)。僕はそのときアカデミーでプレーしている相手が、エフゲニー・ウラジーミロヴィッチ・ルカヴィツィンその人だとは知りませんでした。
4年後、彼に演技を見せに来た時に思い出しました。そして、彼も僕のことを思い起こしてくれたんです。
ついでに言うと、今でも僕たちは卓球を楽しんでやっています。アカデミーにはラケットとテーブルがあるんです。白熱した勝負になりますよ。


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Q:あなたはサンクトペテルブルグに一人で住んでいるのですか?

D:いいえ、僕のおばあさんと一緒です。彼女はわざわざ僕のために引っ越してきてくれました。僕は特におばあさんに、日常生活の細々したことで彼女を悩ませないように気をつけています。朝ごはんの時には自分でお茶を入れます。僕ができることでみんなの、おばあさんや両親、お兄さんの助けになれるよう努力しています。

Q:あなたは小さい頃、屋外の氷で滑っていましたね?

D:滑る時は上着を着て、帽子をかぶっていました。マイナス6度くらいの時は、氷の状態が柔らかくてとても良かったです。僕は上着を脱いでも、帽子は脱がなかったです。
僕は、試合で着た初めての衣装を覚えています。お母さんは、星が大好きだった僕のために、タートルネックを買ってくれました。そしてそれに厚紙で作った星をつけてくれました。タートルネックには手袋と帽子もお揃いでついていました。帽子にも星をつけました。
競技会は格納庫にあった僕たちのリンクで行われました。僕たちはみんなでランタンを作り、手でそれを振っていたのを覚えています…。


Q:今はたまにしか故郷に帰れませんか?

D:ええ、年に2回です。
以前はお母さんが頻繁に訪ねてきてくれました。お父さんは仕事をたくさん抱えていて忙しいので出てくるのは難しいです。
最近、お母さんは僕をびっくりさせました。僕は彼女がリンクに来るのを知らなかったんですけど、その日は僕はショートプログラムのテストスケートの日でした。前の日に、僕のステップのコーチのワレンチン・ニコラエヴィッチ・モロトフが「どんなテストにも準備できているね?」と尋ねました。僕は、はい、と答えて、「誰が来るのか興味深いな。僕たちのアカデミーのディレクターである、タチアナ・アナトーリエヴナかな?」と思いました。
氷に出て行って滑り始め、よくみると客席に、お母さんとおばあさんが座っていました。僕は彼女たちのところへすぐには行きませんでした、公式なテストスケートの最中でしたから。
エフゲニー・ウラジーミロヴィッチはそれを知っていました。彼はお母さんに、
「私はあなたが訪ねてくださったことをとても嬉しく思います。なぜならば、これは公式のテストスケートで、彼がこのような感情の揺らぎがあっても滑れることをチェックできますから。」


Q:きちんと滑れましたか?

D:4回転トウループで転倒してしまいました。

Q:あなたとお母さん、そして家族との関係はどれくらい濃密ですか?

D:僕たちは頻繁に電話をかけ合っています。お母さんは、マルセイユの僕のところに、SNSを送ってきてくれて、お祝いととても愛している、と書いてくれ、お父さんやリョーシャ(兄のアレクセイ)からの挨拶も伝えてくれました。これからサンクトペテルブルグに帰ってから彼女に電話します。家からの方が電波が良いからです。そして僕たちは、物事がうまく行っているときはお互いが心配しないようにしています。

Q:ファイナルのあとはロシア選手権の準備ですね。目標はなんですか?

D:そうですね、これから準備にかかります。もしかしたら、コーチに「コンテント」のちょっとした変更を提案するかもしれません。チェリャービンスクで行われるのはシニアの大会なので、ジュニアのものからシニア用のものへと変えなければなりません。僕には実行したいアイデアがあります。
シニアの大会に出場するのであれば、ロシアで素晴らしい演技をみせなければなりません。ロシアでは、良い滑りをすれば、それ相応の点数をつけてもらえます。
道は開いているのです。


=====ロシア語本文=====


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ドミトリー・アリエフ 故郷ウフタ市から表彰を受ける!


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(ウフタ市公式サイトより)

皆様明けましておめでとうございます!訪問してくださる皆様のおかげで、細々ながらこのブログも続けてくることができました。心より感謝申し上げますm(_ _)m

さて、年の初めはおめでたいニュースといきたいですね!ということで、これです!

ジーマが年末年始の休暇で規制した際、ジュニアグランプリファイナル優勝などの今までの実績から、故郷のコミ共和国ウフタ市より表彰を受けた模様です。
上がその時の写真ですが、左端が市長さん、そしてジーマ、隣がジーマのお父さんのセルゲイさんです。
市長さんの後ろのクリスマスツリーの横にあるのがコミ共和国の国旗です。(コミ共和国日本語Wiki

ジーマの表彰を伝えるウフタ市の公式サイトが⇒こちら

そしてお父さんとジーマは庁舎に呼ばれ、市長さんとの歓談の席を設けられ、今までの功績を讃えられるとともに、これからの活躍への期待の言葉をもらったようです。また、これからも惜しみない援助を約束され、激励もされたようです。
(↓歓談の模様)
Встреча с Алиевым (6)あ

Встреча с Алиевым (3)s

ジーマもこれに答えて、早速このときにもらった賞状とマスコットを市長と市への感謝のコメントとともにインスタにアップしています。
ジーマのインスタが⇒こちら
(前エントリーではスキー大会のものだとお伝えしましたが、この際のものでした。失礼しました。)
賞状の上部には、ロシア国旗とコミ共和国の国旗、そしてコミ共和国の国章があしらわれ、メダルにはウフタ市のシンボルマーク(?)が刻まれています。どちらもとても立派なものです。賞状のとなりの黄色い鳥のマスコットは、多分コミ共和国の国章にちなんだものだと思います。
いかにこの表彰が名誉なことかが伺えます。

市側はジーマの活躍に感謝を伝えるとともに、これからあとに続くアスリートを養成すべく、ウフタ市のスポーツ環境を整えてゆく、ともコメントを出した模様です。一地方都市であるウフタから、世界に通用するアスリートが出た、ということは、市民のみなさんからすればとても嬉しいことなのでしょう。
本当に、ジーマはウフタの誇りであり、期待も担っているのですね。そして、優秀なアスリートが輩出される、ということはこのように行政側も動かすことが出来る、ということでもあるのですね。

Встреча с Алиевым (7)s

17歳の少年が背負うには重いものでもあると思いますが、期待を励みに変えて、頑張って欲しいと思います。

まずは年明けのジュニアナショナル、頑張れ!


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ドミトリー・アリエフ 故郷ウフタの距離スキー大会で3位!

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(ジーマのインスタグラムより)

スケーター達も新年(そしてロシアンズはクリスマスでもあります)休暇で、オフショットが色々と上がってきていますね。

というわけで、ジーマのオフの一コマ。
彼の故郷はロシア連邦のコミ共和国、ウフタという地方都市ですが、オフに帰省した際、そこで行われた距離スキーの大会に出て、3位になったようですね。
その時のインスタグラムが⇒こちら(上の写真)
そして1位は兄さんのアレクセイさん(写真右側)で、現役の距離スキー選手だそうです。アレクセイさんのFISバイオが⇒こちら
ジーマのお父さんはスポーツクラブのダイレクターで、ご自身も距離スキーのコーチでいらして、ジーマも幼い頃はスケートと並行し距離スキーもやっていたそうです。

ジーマのインスタコメント

「びっくりしたよ!休暇で家に帰ってきてたんで、今日行われた10kmの“ニューイヤーレース”に出たら3位になったんだ!僕の足はまだ(スキーを)覚えてるよ。でも、とってもキツかった!優勝おめでとう、兄さん!」

って感じでしょうか。

ジーマのインタビューによれば、お兄さんとはトレーニングのアドバイスをし合ったり、情報を共有したりして、とても仲が良いようですね。種目は違えど、同じアスリート同士、通じるものも多いのでしょう。
しかし、兄弟で同じ国のナショナルジャージ着られるって、いいなぁ。おそらくアリエフ兄弟はウフタの誇りなんでしょうね。なんだかこっちも嬉しい。

休暇が終われば、おそらくジュニアナショナルへ向けての追い込み練習に入ることでしょう。それまで、ご家族のもとでしっかり英気を養ってきてください!

ジュニアナショナル頑張れ、ジーマ!応援してます。

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ドミトリー・アリエフ ジュニアチャンプへの扉は開くか ―ロシア選手権男子総括(2)

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(Mikhail Sharov氏撮影)

ロシア選手権男子個人別総括行きます。第二弾はジーマ(ドミトリーの愛称)・アリエフ。
28日のJスポの放映で彼をご覧になった方も多いと思うので・・・・
皆様ジーマ沼に落ちてください!(笑)

ジーマ、といえば膝をついてくるくる回転して跳ぶ3Fがトレードマークですが(ひょっとして彼の名前は知らずともあのジャンプは覚えてる人多いのでは)、彼のジャンプは非常に質が良く、また構えることなく振り付けの流れの中ジャンプを跳ぶことができ、また着氷姿勢も降りたあとの流れもスムーズ、というまさに新採点にドンピシャ!という感じです。ジュニアグランプリファイナル(優勝)では、FSの4TでGOE加点2.00、というジュニア離れした点数を叩き出しました。

今年の彼には、SP、FSともにいいプログラム(途中で変更したFS「仮面の男」も含めて)が揃い、シーズンが非常に楽しみだったわけなんですが、とにかく彼はエッジワークをはじめとするスケーティングスキルがジュニア離れしているのと、感情表現が非常に豊かで、見る人を引き込む力を持っています。その反面、精神的に動揺しやすく、なかなかSP,FSと揃えられない、という傾向がありました。昨期のジュニアワールドが良い例です。ただ、あの時のSPトップ⇒FS大遭難、という挫折を経験したことで、一回り大きくなってくれているんじゃないかとも思っていました。

というわけでSP。
2T / 3A 3Lz-3T

シニアの大会、ということでジャンプ構成を変えて臨んできました。
が、しかし・・・クワドが抜けてしまって単独ジャンプがノーカウント。要素のやり直しがきかないSPとしては大きな失敗です。これで彼は10点近くを失ってしまったことになりますから。アクセルとコンビネーションジャンプは加点付きで降りているだけにいかにも惜しい。苦手のスピンも3つのうち2つがレベル4。各要素の質を上げる、ということを目標に取り組んできた(ルカヴィツィンコーチ談)ということで、頑張りました!
ただ、滑走順が早かったせいか、ちょっと全体的に硬かったかなー、という印象も受けます。それとも慣れていないシニア構成への緊張かな?
ただ、私的には、無理に構成を変えてクワドを入れずとも、ジュニア構成のまま(もしくは単独ジャンプを3Lo⇒3Fにする)でも良かったんじゃないか、とも思うのです。というのは、このジュニア用プログラムが余りにも完成度が高すぎて、ジャンプ構成をいじることによってそのバランスが崩れてしまう気がするんですね。ジャンプ含めエレメンツが流れるようにひとつながりになっているので、ジャンプをいじることによって印象的な部分が省かれたりしてしまうのがとても残念です。
特にジュニア用で入っているスパイラルからの3Lz-3T。シニア用プロではここに3Aが来るので、あの印象的なスパイラルがなくなってしまいました。ほかにもいくつか…。振り付けの完成度自体は高いのに、イマイチPCSが伸び悩んだ、というのはジーマの硬さやジャンプミスだけのせいではなく、こういった部分もあったのでは?と思います。
ちなみにこちらがジュニア構成のSP。(SBを出したJGPF)



そしてFS.
ロシア語のやつを。。。と探したんですが、曲の著作権の関係かミュートになってしまっていて、唯一残っていたのがこの英語解説バージョンでした。
JGPS2大会を終え、リュブリャナの大会でFSで崩れたせいなのか、プログラムを変えてきました。
「曲が僕に鎖で繋がれたようにしっくりきた」とまで言っていた「仮面の男」を何故変えたのか、それはわかりません。ただ、ヤグディンの同プロと結びつけていろいろ言われたりしたのもプレッシャーになったのかな?ただ、ジーマ自身はインタビューで、
「(新プロの曲のように)歌詞があったほうが曲に入り込みやすく、感情表現もしやすい」
と言っていたので、前向きに捉えての決断であったと思います。
このプログラムは最初の大会での披露がパニン・メモリアル(シニア)、次がCSのワルシャワ杯(シニア)そしてJGPF(ジュニア)と来ているので、SPのようなジュニア⇒シニアの不自然さはありません。
また、ジーマ本人の言葉を借りれば
「新しい曲は僕により近くて僕は動きから快感を得ることができ、満足を得ることができ、観客席の一人ひとりの観客の視線を一人占めににすることができ、なんというか、内側から湧きあがるような感情を味わうことができます。この新しい曲では、振り付けのほかに、感情を込めることができます。」
ということなので、ナショナルでも楽しみにしていたのでした。

4T 3A-2T / 3A 3Lz-3T 3Lo(fall 3F 3Lz 2A-1Lo-3S

そして、このプログラムの構成について、クワドを1本にしたことで、「安全策できた」という向きもあるようですが、私はそうは思いません。理由はなんといっても後半6ジャンプ(うち2つはコンビネーション)構成にしていることです。この後半6ジャンプ構成はスキルダとジーマだけ、3A以上のジャンプを持つ選手としてはジーマだけです。これを「攻め」と言わずになんと言いますか!
そしてシニアプロとしての構成(ジュニアより演技時間が長い、コレオシークエンスがある)として滑りきった、ということはやはり肉体的にも精神的にも強い選手である、という証明になったと考えます。男子のFSのジュニアプロからシニアプロへの移行は、我々が考えるよりかなりきついもののようです。シニアに上がった頃の羽生結弦選手が、後半でへとへとになっていたことを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

C0xDN-kUUAA8ZV3.jpg

「JGPFの疲れが残っていて最善の出来ではなかった」というルカヴィツィンコーチ(写真左)の言葉通り、ジャンプは全体的に着氷がシェイキーで、本来の質ではありませんでしたが、3Loで転倒したほかは目立ったミスはなく、転倒した3Lo付けるはずだった-1Lo-3Sのコンビネーションも2Aでしっかりリカバリーしていましたし、よかったんじゃないかと思います。シーズン序盤で-1Lo-が回転不足になっていましたが、そこもしっかりと修正してきていましたし、彼の代名詞とも言える膝くるくる3Fもしっかり入りました。
着目すべきはステップシークエンスでレベル4が取れていたこと。途中でふらついたのはご愛嬌ですが(その分GOEはマイナスになってます)スピンもレベル3とは言えすべて加点付き。強いて言うならコレオシークエンスのところでちょーっと疲れが出たかな、とも思いますが、全体としてはいい出来だった、と言えるのではないでしょうか。


最後にEX。これはロシアのベテランバンド「リュベー」の曲ですが、ロシアの大地への愛を朗々と歌い上げているものです。
競技では失敗した3連をここで組みこんできました。3Lo-1Lo-3S-1Lo-3S。最後の3Sは回転不足かな?でもおまけしちゃおう!(佐野調w)

EXの中でアクセルを跳ばなかったこと、GPFのEXのフィナーレでも今回のそれでも3Aを失敗していたことを考えると、照明の中でジャンプを跳ぶのはあまり慣れていないのかもしれません。
ゴスペル風の男声コーラスのスローな旋律に、ジーマの豪速でエッジワークの巧みなスケーティングがものすごくあっています。やっぱりスローバラードを活かすのはスピードですね!相反しているようですがこれ、事実です。
ちなみにこの曲の歌詞はこんな感じ(リフレインが多いので大体のイメージです)

漆黒の闇をゆく
俺は愛馬とともに大地を駆ける
夜空には星が美しく輝き そこには俺1人
愛馬と俺だけがこの大地を疾駆する
俺は愛馬に跨りこの大地を駆け抜ける
果てしない大地よ
見ろ、大地に朝が来る
ああ、クランベリー色の朝焼け 
ああ、こんな素晴らしい処が他にあるだろうか
金色のライ麦 そしてカーキ色の亜麻
俺はロシアを愛している
歌え、金色のライ麦よ、カーキ色の亜麻よ
歌え、俺がどれほどこのロシアの大地を愛しているかを
俺は愛馬とともに大地を駆ける…


成績はともかく、SPのミスをFSでしっかりと取り返したこと、またクワド入りのシニアプロを滑りきることができたことで、今回の大会はジーマにとって大きな収穫となったのではないでしょうか。
年明けにはジュニアナショナルが控えており、それを勝ち抜けばジュニアワールドです。彼としては何としてでも昨年の雪辱を果たしたいところでしょう。
焦らず頑張ってもらいたいものです。


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プロフィール

Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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