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王子さまは波乱万丈 ―元祖・氷上の貴公子、ペトレンコの辿った道―

まず、こちらをごらんください。1992年ワールドの表彰台です。優勝はヴィクトール・ペトレンコ。2位が長年彼と鎬を削ってきたライヴァルでもある、カナダのカート・ブラウニング。3位が新鋭、としてめきめき頭角を現してきた同じくカナダのエルヴィス・ストイコでした。
14083105_1717544919s.jpg
そして、つぎにこちらを。
この表彰台の中央にいる、ペトレンコの演技の記録動画です。

(1991年ワールド)
Viktor Petrenko (URS) - 1991 World Figure Skating Championships, Men's Free Skate

(1992年アルベールヴィル五輪)
Viktor Petrenko (EUN) - 1992 Albertville, Men's FP

(1992年ワールド)
Viktor Petrenko (CIS) - 1992 Worlds, Men's FP

彼の国名(名前の後ろの括弧書きのローマ字3文字)が、2年の間に3度、変わっているのにお気づきでしょうか?
そう、1991年のワールドには、ソヴィエト連邦(URS)。
出のときにも、
「ヴィクトール・ペトレンコ、ソヴィエト・ユニオン!」
と声がかかっています。
しかし、ソ連崩壊で、翌年のアルベールヴィル五輪は旧ソ連統一チーム(EUN)として参加。
そして、同年のワールドには、グルジアの参加で独立国家共同体(CIS)が正式に発足していましたから、独立国家共同体(CIS)として参加。
けれども、アルベールヴィル五輪では、EUNの優勝者は、五輪旗で表彰されましたので、彼はフィギュアスケート男子シングル史上唯一の、自国の国旗・国歌で祝されなかった五輪金メダリストとなったわけです。
オリンピック選手は、国のために戦うわけではありません。しかし、自国のたくさんのライヴァルたちと戦い、勝ち抜き、そのライヴァルたちの夢や応援してくれる人々の期待をも背負って出場してくるわけですから、そのシンボルとしての自国の国旗、国歌によって祝福されてこそ、報われる、というものではないのでしょうか。

足元がぐらついている、ともいえるこの動乱の中、彼は1991年のワールドでは準優勝、(優勝はカート・ブラウニング)、1992年はアルベールヴィル五輪とワールドの2冠を達成しています。練習環境の不備や変化も多かったことでしょう。並大抵の精神力ではありません。

このとき彼は確かまだ22歳。充分アマチュアとしてやっていける年齢でした。しかし、国情の変化、生活への不安。一番大きかったのは、「スポーツでは食えなくなった」ということだったでしょう。今よりずっとアマチュアリズムの締め付けが強かった時代、ショーに出ながら、とかスポンサーをつけて、などというのは夢のまた夢でした。
そしてこのワールド優勝後、彼はプロスケーターとしての道を選び、アメリカへと渡ります。


そして、ボイタノ・ルールによって、プロ選手の復帰が認められたリレハンメル五輪。彼は再び、五輪のリンクに姿を現します。
Viktor Petrenko (UKR) - 1994 Winter Games, Figure Skating, Men's Free Skate

画面上の選手名の下の国籍は(UKR)。
彼が最終的に選び取った国は、出生地オデッサのある、故国ウクライナでした。
「オデッサ・ユークレイン!」
と声がかかった中、リンクに出てゆく彼の胸に去来していたのはなんだったのでしょうか?

このとき彼はプログラムに『リゴレット』を使用していますが、冒頭に使われているのが『女心の唄』。これはとりようによっては痛烈な皮肉にも感じられます。

まさに、彼の選手時代(特に後半)は、女心ならぬ政情に、それこそ “風のなかの羽根のように” 弄ばれてきたといっていいでしょう。しかし、そこにあったのは、風に飛ばされる羽毛ではなく、自らの道を見失うことなく研鑽を詰み、しっかりと歩を重ねた、真の貴公子の姿でした。 


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テーマ : フィギュアスケート
ジャンル : スポーツ

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No title

懐かしい~私の初代王子様であらせられます(笑)当時は彼のすきっ歯にばかりどきどきしてましたけど、今見ると凄い高さの3Aを跳んでますね。そしてリレハンメルのプロの音楽にぴったり合ったスピンも素敵。衣装もきんきらきんで凄いです。ありがとうございました。

ペトさま♪

リレハンメルのエキシのペトレンコに一目惚れして男子シングル好きは始まったようなものだと、今思うと、思う次第です。
上記リンクの衣装よりも?ある意味凄い、総ビーズ(スパンコール?)結構派手な色合いの上で、華麗なステップを踏んでおられました......(今思うと滑る姿じゃなくステップにやられたのか?私)

ソ連崩壊に翻弄されつつもきっちり成績を出すあたり相当な力と精神力ですよね。それだけでも尊敬です.......

先日40台にもかかわらずトリプルかな?を跳ぶ彼を某動画サイトで観ましたが....。おなかの肉は見てはいけない(^^;;;


横ですが、ウクライナが英語読みだと『ユークレイン』!これを初めて知ったときは驚きました....。
 (ちなみにグルジアは『ジョージア』…アメリカの州かと思いますよね(^^;;;)

No titleこの日記、泣きました!!

思えばこの頃の選手は国家と純粋なスポーツとの板ばさみでした。

国家権力誇示のための道具とされ、自らの抱くであろう夢や希望のためではなく、国家のために勝つ事が要求されていた時代、そしてそのイデオロギーが崩れ去っていく時代に、選手達はそれまで築いてきた価値観や生き方を否定されました。

でも、ペトをはじめ多くの旧ソ連国の選手がアルベールビル、続くワールドで、崩れ去った祖国の威信をかけて闘い、結果を出したのは、無くなった祖国の誇りに加え、スケーターとしての自分自身のプライドを強く持ち続けたからだったのでしょうね。

それがなければ、めまぐるしく変わっていく価値観の中でDoraさん仰る通り、自分を見失い、スポーツそのものへの熱意や意思は保てなかったのではないかと感じます。

リレハンメルで、なくなってしまったと思っていた祖国を取り戻し、“ウクライナ”代表として戦うペトはどんなに誇らしかったでしょうね。

優勝は出来なかったけど、スポーツマンとしてのプライドと、祖国を背負って闘ったんですよね。

時代を通して彼が守り抜いてきたものは、今、彼が一層スケーターとして力を発揮し続けている礎となってるのだと感じます。

なぜか「さま」呼びの方たちw

mariemotさん、selaさん>

そうですねー、何の抵抗もなく「さま」呼びがはまってしまう、というのはやっぱりペトとウルですね。この2人、ソ連崩壊の動乱のなかで、とんでもない苦労をしたのも同じ。まるで大河ドラマのような人生を生きてますw
ジョン・カリーやロビン・カズンズと並んで、旧採点時代の王子様最高峰の人たちですよね。

そして、selaさん!あのリレハンメルのビーズ衣装(当時私はは玉虫シャツ、と呼んでました)についてはいずれまた書きますから!



しゅーらさん>

そうですね、今、当たり前のようにアイスショーに現役選手が出ているのを見ると、隔世の感があります。東西冷戦時代の東側、なんて一般人では一生いけないもんだと思ってました。
本当に、時代は変わったんだなぁ、とおもいます。

プロフィール

Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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