クワドラプルへの道―挑戦する漢(おとこ)たち―そのⅠ

フィギュアスケート世界選手権も終わり、しばし脱力しております。
ジャンプのレベルが非常に高い(特に男子)、ジャンプ厨の自分としては非常に胸の熱くなる大会でした。実際私はサーシャ・ファデーエフに魅せられ、ボイタノ、オーサーのWブライアンの戦いでこの「フィギュアスケート」という種目にハマった人間なので、とにかくダイナミックなジャンプが大好き!ですから、この大会は非常に胸熱でした。
男子のFS進出者の過半数がクワドに挑み、かつそれもその選手それぞれの「神演技」とも言えるものが多かった、ということをSBの更新数が物語っています。

というわけで・・・クワドに関する動画をご紹介。

最初にプログラムの中にクワドを入れてきたのがファデーエフ(当時ソ連)。サライェヴォ五輪前年のことでした。当時はまだ男子でも3Aを降りる選手が少なかった時代です。
おそらく世界選手権。


3回転→3回転半、そして4回転、と、難しく回転数の多いジャンプへとどんどん挑んでいく、というのは、フィギュアスケーター、特にジャンプを得意とする選手たちの本能のようなものなのでしょうか。
 
そして、大きな大会においては、練習のときからすでに、戦いなのでしょう。
「自分はこれだけの技術を持っている、どうだ、おまえは?」
というライバルへの無言の問いかけが始まっているのでしょうね。
次に、ヨセフ・サボフチック(チェコスロバキア、そう、トマシュ・ヴェルネル君の先輩ですね)と、ブライアン・オーサーです。
どういうシチュエーションだかわかりませんが・・・1985年のもののようです。2人とも、綺麗に決まってます。それでも、プログラムに入れるまでの成功率にはいたらなかったのでしょうか。まだ、二人とも“跳ぶ”ことはできても、プログラムに入れて試合で演技する、までは到らなかったのですね。

Brian ORSER & Jozef SABOVCIK Quadds 1985



そしてこのヨセフ・サボフティック(当時チェコスロヴァキア)は、ジャンピング・ジョーと呼ばれ、クワドにこだわった選手の一人でもありました。
1986年の欧州選手権。成功か?と言われたチャンピオンシップでの初クワド。残念ながら両足着氷、ということで「幻」となりました。
Josef Sabovcik 1986 European Figure Skating LP

そして、この3人が出てくれば・・・やはり、この人の画像もありました。もう一人のブライアン、そう、ブライアン・ボイタノです。これは、1987年ワールドの公式練習のときのようですね。このとき彼は、公式練習では成功したものの、本番では失敗してしまったのでした。
1987 Brian Boitano attempts Quad Toe


おそらくこの4人、誰が最初に演技中に完璧なクワドを跳ぶか、で火花を散らしていたんではないでしょうか。
しかし、人類初のクワドラブル・ジャンパーの栄光は、当時ではカナダの新鋭(髪もあったw)、カート・ブラウニングにもたらされました。1988年のワールドのことです。

Kurt Browning (CAN) - 1988 Worlds, Men's Long Program


そして、カートは名ジャンパーとして名を馳せてゆきますが、自身3度出場したオリンピックでは、クワドを成功させることはできませんでした。2人目にバルナ('89年ワールド)、3人目にウルマノフ、とクワドジャンパーは誕生してゆきます。ただ、当時は採点システムが今とは異なり、技術点にしても芸術点にしても、「演技全体を見て評価する」というものですから、クワドに挑むことは非常にリスクが高かった。現在なら、例え転倒しても、どれくらいの減点がされるか、という予測が立ちますが、この当時はそうはいかなかった。
実際、「転倒したらもうトップは取れない」、という不雰囲気が支配していたことは否めません。

続いて生まれた4人目のクワドジャンパーが、後に、“クワドの申し子"“ジャンプの王様”と呼ばれたエルヴィス・ストイコでした。その頃はまだ、挑戦することのできる選手さえ限られていたクワド。それを、なんと、4T-2Tというコンビネーションで成功させてのけたのでした('91年ワールド)。
ただ、この頃のクワドは、限られた選手のもの、なくても勝てるもの。ある意味、際物的な扱いでした。トリプル全種、そして3回転半がきっちり跳べて、演技を纏め上げる力があれば勝てる、そういった風潮がまだ支配していたことは確かです。
けれども、'94年のリレハンメル五輪では、ミンがクワドの五輪初成功をはたし、ワールドではエルヴィスがセカンドジャンプはステップアウトしたとはいえ、4T-3Tを降りて優勝。   

Elvis Stojko 1994 Worlds Free skating



また、長野五輪では史上初、FSで中国のが1プロ2クワドを達成していました。(優勝はやはりクワドを跳んだイリヤ・クーリック)


このころから、少しづつですが、クワドに挑戦する選手たちが増えてきたような印象を受けます。
そう、“特殊な技"から、難しいが、“一流なら挑む価値のある技”へと変わってきたように思われるのです。やはり、ジャンパーたちの“本能”のようなものが彼らを衝き動かしたのでしょうか。
 
そして、'97~98年。五輪の年でもある、ということもあったでしょうが、クワドの花が一機に開いたともいえる2年間でした。
ヤグディン、プルシェンコ、アブト、といったロシアの選手たち、そして、ワイス。本田やエルドリッジ、またジュニアではゲーブルの4Sの成功といった、後の“空中戦時代"を形作る選手たちがどんどん出てきた年でもありました。
エルヴィス自身も、'97年は、グランプリファイナル、ワールドの2度にわたって4T-3Tを成功させています。
これは世界選手権。


そして、彼らの登場によって男子シングルは、アクセルを含むトリプルジャンプ全種、そしてクワドをプログラムに入れるのが当たり前、それができてこそ一流、といった流れになっていったのでした。
空中戦時代、または4回転時代。それは少し前からその傾向は見えていたのですが、技術の向上に貪欲な、それでいてさまざまな個性を持った選手たちが、同時に綺羅星のように現れた年代でした。

そう、男子のSPで1998-1999シーズンにSPクワドが解禁されるようになったのは、これほどまでものクワドジャンパーの増加でした。チャンピオンシップの最終グループの過半数がクワドジャンパーで占められるようになってきたからです。

自らの個性を追い求め、その表現をさまざまな手段に捜し求める。また、そのための技術を貪欲なまでに追求する・・・よって、停滞していたそれまでの技術が向上して行く。ルールが追いつかないまでに。

 
 彼らが選んだ技術、そのひとつがクワドラプル(4回転)ジャンプでした。



しかし、失敗すれば、足首が折れるもしれない、過度に繰り返せば、半月版が砕けるかもしれない。そんな危険さえ持ったクワドラプル・ジャンプ。そんな危険さえも知りながら、選手たちはそれを補って余りある何かのために、このクワドに挑み続けた。

そんな先達の足跡の後ろに、、現在のフィギュアスケートがあるのです。

 BraveKing Quad Jumper



ソルトレイク以降の話はいずれまた。(思い入れが強すぎて長くなってしまいそうなのでw)

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Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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