ドミトリー・アリエフ:「僕はファイナルへの扉を最後に閉めて、それを最初に開いた」(2) ―ジュニアグランプリファイナル男子シングル


C0xDN-kUUAA8ZV3_20161231020248c97.jpg (ロシアのスポーツサイトより 左はルカヴィツィンコーチ)


ジーマのジュニアグランプリファイナル後のインタビュー、続きです。⇒(1)はこちら
この記事は2016年の12月13日に発表されたものです。インタビュアーは、オリガ・エルモーリナさんと、タチアナ・フレイドさんです。
筆が遅いため、遅くなってしまってすみません。待ってくださった方(いらっしゃいます?)ごめんなさい。
今回もロシア語者の友人にチェックをお願いしました。いつも時間を割いてもらってありがとうございます。どんなに感謝してもしきれません。m(_ _)m


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ドミトリー・アリエフ:「僕は最後に扉を閉めて、それを最初に開いた」(2)


Q:演技の中で、感情的な側面と高難度な技術要素を融合させることはどれくらい難しいことですか?

D:最初のエレメンツに高難度ジャンプに挑戦することが必要です。まず一本のクワドを入れることから始め、クワドを入れたプログラムに慣らしていくのです。クワドを入れることにより、それはより難しくなり、別のプログラムになるのです。頭の中でさえね。
クワドからスタートするとき、それを必ず射撃のように一撃で正確に決めなければなりません。的に当たれば、よし。
もしも当たらなければ、再び狙いを定めなくてはなりません。もしも2回目にうまくいったら、再び念入りに試みることが可能になります。まず第一には、クワドを入れてみて、やってみることです。
1週間前、まだファイナルの準備をしているときには、プログラムの中でどのジャンプを跳ぶのかわかりませんでした。
そして練習の時にクワドルッツを跳び、さらにサルコウを試しました。そしてそれが成功しました。
もしもこれらのジャンプをも計画に則って、練習の中でできるようになれば、いずれはこれらをプログラムに入れることができるようになるでしょう。もしも音楽と一体化できたら、これらを成功させられる、と思います。もしもバテることなくジャンプを跳んで、プログラムを通して滑りきることができたら、すべてのエレメンツをスムーズに失敗なく行うことができたら、多分すごいものが出来るでしょう。

Q:ファイナルの結果についてコメントしたISUの副会長であるアレキサンドル・ラケルニクは、ジャンプの軌道に入ったら、何も考えずに跳べばいいんだ、と述べました。

D:同感です。どのように入れるか、どうしたらよいかを考え始めたら、時間を無駄にしてしまいます。頭で考えていては反応しきれずに、質の悪いジャンプを跳ぶことになってしまいます。

Q:あなたがプログラムに4回転トウループ1本のみを残すことにしたのは、演技により安定性を求めてのことですか?

D:はい。僕は、僕たちが磨き抜いてきた質の高いプログラムと4回転トウループを見せたかったのです。
クワドを2本にすると、少し質が落ちてしまい、ジャンプに追いかけられるようになって、プログラム全体がクリアに見えなくなってしまう、ということもわかりました。
シニアのグランプリシリーズフランス大会で、アダム・リッポンは1本の4回転ジャンプで構成された180点を獲得する素晴らしいフリースケーティングをしました。
その後、エフゲニー・ウラジーミロヴィッチ(ルカヴィツィンコーチのこと)が戻って来て、クワド1本でやってみよう、そのかわり、クリーンで質の高い、洗練されたスケーティングを見せるんだ、と言いました。1本の4回転ジャンプを持つアメリカ人のスコアは、他の2本、3本の4回転ジャンプを持つアスリートとほぼ同じ点数だったのです…

Q:しかし、この課題は分かっていることですが、現時点でのものですね。

D:もちろんです。トリプルジャンプでオリンピックの男子の試合で優勝できた時代は過ぎ去りました。

Q:あなたの話を聞いていると、何故あなたがクロスカントリースキーではなくフィギュアスケートを選んだのか、だんだん分かってきました。

D:はい。僕はクロスカントリースキーに取り組み、良い成績を上げていました。しかし、フィギュアスケートの方がより好きになっていたのです。4年間、スキーだけでなく、ほかのスポーツもやっていました。毎日、16時にはスキーのトレーニングに行き、18時からはアイスリンクにいました。一日中、あっちこっちに行っていました。

Q:あなたはあなた自身でフィギュアスケートをしたいと思ったのかしら?

D:いいえ、それは偶然だったのです。あるとき、僕はお父さんの仕事の帰りを待って、鉄棒のところでふざけていました。そのそばを後に僕の最初のコーチになったべチャスラフ・エフゲーニエヴィッチ・マクシーモフが通りかかりました。そのとき僕は彼を知りませんでしたよ。彼は僕がとても運動神経がいいのに気づいて、夜の8時に湖においで、と誘ってくれました。

Q:あなたはスケートができたのですか?

D:いいえ。けれど初めてスケート靴を履いて、直ぐに走りまわることができました。その時僕は6歳くらいでした。
面白い話なんですけど、僕のお父さんはスポーツ学校のディレクターで、そこには色々な設備があります―スキートラック、競技用スケートリンク(といってもマイナス20~25度の格納庫ですけれど)。そういった全てのものを管理しています。そしてマクシーモフは、10年くらい会っていませんでしたが、以前は僕のお父さんととても親しい仲の友人だったことがわかったんです。僕が彼らを再び結びつけることになったのです。マクシーモフは、お父さんのリンクで働き始めました。
コーチは僕に刺激され、最初は僕を中心にして練習していました。コーチはとても僕を厳しく叱咤し、教えてくれました。
そしてその頃既に、僕は自分が一緒に練習している同年代の子たちとは少し違っていることがわかっていました。みんなには課題を与え、そして彼らはでんでん虫のように滑り始めました。その一方でコーチは僕につきっきりで…。
そして僕たちはサンクトペテルブルグにコーチを探しに行きました。でも、何回行ってもとってもらえなくて…。

Q:あなたたちは何度くらいそうやって行き来したのですか?

D:4回、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ミーシンのところに行きました。僕はとってもらえませんでした。その後、僕はウフタの家に帰りました。
そして、しばらくしてから、グループの仲間と一緒にサンクトペテルブルグのトレーニングキャンプに行きました。そこではルカヴィツィンの知り合いの女性のところで練習しました。彼女はエフゲニー・ウラジーミロヴィッチに、僕が演技を見せるために来ていることを話しました。そのとき、僕は3回転ジャンプにトライしました。そして演技を見せた3日後に、ルカヴィツィンは僕をとってくれると返事をくれました。
しかし、僕はそのもっと前にエフゲニー・ウラジーミロヴィッチと知り合っていました。僕が最初のコーチとともに、フィギュアスケートアカデミーに行った時です。そこでマクシーモフの孫娘が練習していたのです。僕はその時出た大会で最下位になったことを覚えています。2つのプログラムを滑って、スコアは70点でした。その時僕は9歳くらいでした。アカデミーでの練習の合間に、僕は卓球をしました。上手くプレーできて、すべてのボールを打ち返しました(僕たちは、僕の最初のコーチと一緒に、卓球やサッカーをたくさんやっていました)。僕はそのときアカデミーでプレーしている相手が、エフゲニー・ウラジーミロヴィッチ・ルカヴィツィンその人だとは知りませんでした。
4年後、彼に演技を見せに来た時に思い出しました。そして、彼も僕のことを思い起こしてくれたんです。
ついでに言うと、今でも僕たちは卓球を楽しんでやっています。アカデミーにはラケットとテーブルがあるんです。白熱した勝負になりますよ。


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Q:あなたはサンクトペテルブルグに一人で住んでいるのですか?

D:いいえ、僕のおばあさんと一緒です。彼女はわざわざ僕のために引っ越してきてくれました。僕は特におばあさんに、日常生活の細々したことで彼女を悩ませないように気をつけています。朝ごはんの時には自分でお茶を入れます。僕ができることでみんなの、おばあさんや両親、お兄さんの助けになれるよう努力しています。

Q:あなたは小さい頃、屋外の氷で滑っていましたね?

D:滑る時は上着を着て、帽子をかぶっていました。マイナス6度くらいの時は、氷の状態が柔らかくてとても良かったです。僕は上着を脱いでも、帽子は脱がなかったです。
僕は、試合で着た初めての衣装を覚えています。お母さんは、星が大好きだった僕のために、タートルネックを買ってくれました。そしてそれに厚紙で作った星をつけてくれました。タートルネックには手袋と帽子もお揃いでついていました。帽子にも星をつけました。
競技会は格納庫にあった僕たちのリンクで行われました。僕たちはみんなでランタンを作り、手でそれを振っていたのを覚えています…。


Q:今はたまにしか故郷に帰れませんか?

D:ええ、年に2回です。
以前はお母さんが頻繁に訪ねてきてくれました。お父さんは仕事をたくさん抱えていて忙しいので出てくるのは難しいです。
最近、お母さんは僕をびっくりさせました。僕は彼女がリンクに来るのを知らなかったんですけど、その日は僕はショートプログラムのテストスケートの日でした。前の日に、僕のステップのコーチのワレンチン・ニコラエヴィッチ・モロトフが「どんなテストにも準備できているね?」と尋ねました。僕は、はい、と答えて、「誰が来るのか興味深いな。僕たちのアカデミーのディレクターである、タチアナ・アナトーリエヴナかな?」と思いました。
氷に出て行って滑り始め、よくみると客席に、お母さんとおばあさんが座っていました。僕は彼女たちのところへすぐには行きませんでした、公式なテストスケートの最中でしたから。
エフゲニー・ウラジーミロヴィッチはそれを知っていました。彼はお母さんに、
「私はあなたが訪ねてくださったことをとても嬉しく思います。なぜならば、これは公式のテストスケートで、彼がこのような感情の揺らぎがあっても滑れることをチェックできますから。」


Q:きちんと滑れましたか?

D:4回転トウループで転倒してしまいました。

Q:あなたとお母さん、そして家族との関係はどれくらい濃密ですか?

D:僕たちは頻繁に電話をかけ合っています。お母さんは、マルセイユの僕のところに、SNSを送ってきてくれて、お祝いととても愛している、と書いてくれ、お父さんやリョーシャ(兄のアレクセイ)からの挨拶も伝えてくれました。これからサンクトペテルブルグに帰ってから彼女に電話します。家からの方が電波が良いからです。そして僕たちは、物事がうまく行っているときはお互いが心配しないようにしています。

Q:ファイナルのあとはロシア選手権の準備ですね。目標はなんですか?

D:そうですね、これから準備にかかります。もしかしたら、コーチに「コンテント」のちょっとした変更を提案するかもしれません。チェリャービンスクで行われるのはシニアの大会なので、ジュニアのものからシニア用のものへと変えなければなりません。僕には実行したいアイデアがあります。
シニアの大会に出場するのであれば、ロシアで素晴らしい演技をみせなければなりません。ロシアでは、良い滑りをすれば、それ相応の点数をつけてもらえます。
道は開いているのです。


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Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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