セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(1) ―白皙の美少年が青年に―

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今年になって、セリョージャが「たまに台に乗るロシアの人」位だったのが、「優しそうでおちゃめなとこともあるいい奴」後輩たちにも気を配る素敵なお兄さん」と認識され、セルゲイ・ヴォロノフという名前が知られたことはジュニア時代から見ているものとして本当に嬉しく思います。

今回は、そんな彼の足跡をじっくりたどってみたいと思います。

まずは(1)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(1) ―白皙の美少年が青年に―
続いて(2)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(2) 挫折からの羽ばたき
そして(3)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(3) ―我慢とプライドのせめぎ合い
ラストの4です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(4) ―試練をポジティブに受け止める
こちらも合わせて→セルゲイ・ヴォロノフの欧州選手権の足跡 ― 初出場(2008年)から今年まで
ユーロを終えての彼のインタビューがこちら→ロシアン・フィギュアスケート・フォレヴァ(ユーリさん、いつもお世話になります!)



モスクワ生まれの彼は当時そこに拠点をおいていたラファエル・アルトゥニアンに師事することとなります。そして、
「僕のヒーローはヤグディンです、唯唯ヤグディンです」
と言っていた少年は、同門にいた美しい滑りと流れるジャンプをもつサーシャ・アブトとともに練習をすることになります。
こうして、ヤグに憧れ、アブトの背中を追いかける少年が誕生したのでした。
アブトとの練習は本当にたのしかったことでしょう。
期間は短かったですが、ラファエル・アルトゥニアンのところでは非常に多くのものを得たようで、感謝の言葉も述べています。
当時12歳の少年が、トリプルアクセルまでのすべてのジャンプを身につけたことは本当にラファエルの手腕である、と。
特に彼のトリプルアクセルはジュニアの頃から専門家の折り紙付きでした。日本語の解説もいくつか残っていますが、解説者は口を揃えて彼の3Aの美しさ、特に高さを褒めています。
だからこそラファエルについていた町田くんに注目していたのでしょう→リッポンとナンソンの衝突事件、そして高橋・町田選手について ―ヴォロノフのインタより

そして、順調に進んでいたようなこのセリョージャのスケート生活ですが、思わぬ形で終止符が打たれてしまうこととなりました。1999年、ラファエル・アルトゥニアンが渡米を決めたのです。セリョージャにもともに来ないか、という誘いをくれたそうですが、当時、まだ彼は12歳。もう少し年齢がいっていたら。。。とも思いますが、ジュニアチームにも入れていない、それこそ海の物とも山の物ともつかないこれから、を考えると海を渡る、というにはまだまだ早かったのでしょう。

そして彼は、スケートを続けるのならサンクトペテルブルグだ、ということで、ろくな紹介状も持たず、コーチを探し始めます。
ミーシンはじめ様々なコーチのセレクションを受けては落ち、のコーチジプシー。そんな中でガリーナ・カーシナのもとにつきますが、足を怪我してしまい、コーチが他の生徒に夢中になってしまい放置されている、という状況になりました。
当時のミーシンの彼評が「ヤグディンを下手くそにしたようなスケーター」だったそうです。
そんな中、セリョージャが巡りあったのが指導者への転向を図ろうとしていたアレクセイ・ウルマノフでした。
セリョージャの足の怪我は思いのほか長引き、ウルマノフが様々な医者にかけてくれたのですが、「完治不能」という結果が出ました。それは踝の疲労骨折で、骨がささくれ立つように割れていて偽関節が出来てしまっている、という状態だったそうです。
「あの痛みに耐えられる我慢強さは凄い。私だったらやめてしまうかもしれない」
という当時のウルマノフのコメントも残っています。
この怪我がルッツジャンプに一番響くから、ということでクワドが跳べるようになってからはプログラムからLz(時にはFも)抜いていました。

2006年ジュニアワールド。この頃はクワドが跳べませんでしたから、痛みを押してLzを跳んでいたのでしょう


そして、2007年のジュニアワールド。DGではありましたが、なんとかクワドを着氷し、ここからがセリョージャのクワドジャンパーとしての人生が始まります。
この年は、ジュニアワールド、ユニバーシアード、シニアワールドと連戦で、かなりキツかったと思うのですが(実際、シニアワールドでは崩れ、同じく撃沈したルータイとともにロシアの枠を1つにしてしまったのでした)。
しかし、ウルマノフは「この連戦がきっとセリョージャのメンタルへもフィジカルへも良い結果をもたらす」と言っていたのでした。

2007年JW


ただ、翌シーズン、TEBでシニア初台乗りを果たすわけですが、FSではルッツもフリップも入っていなかったのですね。というわけで、「ASTLで台乗りした」などども揶揄され、3Lzはこの頃はまだ不安定だったセカンド3Tとともに、彼の技術的弱点を突く際には必ず言われる言葉となっていました。

前エントリーでも触れましたが、セリョージャが
「僕のことを心から信頼し期待をかけてくれていたのはアリョーシャ(ウルマノフのこと)だけでした。」
と述べていたのはこの頃のことでしょう。今でこそ彼しか残っていませんが、同年輩にはルータイ、ドブリン、ウスペンスキー兄弟、グリャーツェフ、ボロデュリン、とあまたのライバルがいて、その中でもセリョージャは決してトップではなかったのです。

そして勝ち取ったロシアンチャンピオン。まさに、チャンピオンが育てたチャンピオンでした。そしてワールド出場。自分が1つにしてしまった枠をなんとか増やさなければ、という使命感もあったでしょう。

2008年ワールド



SPの失敗演技(単独ジャンプが2Loになった)からのノーミス。それも、この大会でSPにクワドと3A、FSにクワドと3A二本入れてきたのはセリョージャだけではなかったかな。
ここで一桁順位を勝ち取り、ロシアに2枠をもたらします。


そしてバンクーバープレシーズン。シーズン前の手術から来た敗血症で出遅れ、ユーロはストレス性の疾患。チャンピオンが帰ってくる、というプレッシャーもあったであろう中、セリョージャとルータイは必死に複数の枠を守りました。

2009年ワールドSP





いよいよバンクーバーシーズン。この年のセリョージャのプログラムは、本当に彼に合った素晴らしいものが揃っていました。そして、2Lz-3Tとはいえ、ルッツを入れてきた!フィンランディアトロフィーで、ノーミスのこれを見たとき本当に泣きました。三年ぶり(当時)のルッツ!彼とウルマノフの五輪にかける思いが伝わてくるようでした。

フィンランディア杯 FS


SPに使われていたスクリャービンのエチュードも彼ににあっていて、本当にこれで五輪に行って欲しい、と思っていたものでした

ロシアンナショナル SP


SP2位、FS4位、総合2位。普通の国であったならば、これですぱっとトップのプルシェンコとともに五輪代表が決まったでしょう。しかし、そこがロシアでした。
他のカテゴリーは代表が決まったにも関わらず、男子は時間がかかりました。
「五輪代表が決まらないのは、セルゲイ・ヴォロノフに原因がある」
とまで言われ、プルシェンコは代表決定、もう1人はセリョージャをユーロに派遣、しかるべき演技ができれば彼、でなければアルチョム・ボロデュリンを派遣する、という決定がなされたのです。
ナショナル2連覇しているチャンプが今年は王座を逃したとはいえ台に乗っている、なのに何故僅差だったとは言えボロデュリンなのか。
ウルマノフもナショナル2位になれば代表決定、と思っていたらしく、ショックを受けていたようでした。
残り一枠をユーロなり、国内のテストスケートでの直接対決で競わせるのならともかく、これは選手にはキツイ・・・・・
案の定、まるで見えない魔物に追われるように、セリョージャはユーロで崩れ、バンクーバー五輪代表を逃しました。

セリョージャはそのことを「あの頃の自分は弱かったから」と述べていますけれど、22歳の青年にここまでするか?それも身体ともに繊細なアスリートに。

またここで急転直下な出来事が起こります。バンクーバー五輪後、「ワールドにも出る」と公言していたプルシェンコが、げんを翻し、ギリギリになってワールド不参加を決めたのです。
そして引っ張り出されたのがセリョージャでした。ウルマノフのコメントでは「五輪競技を見ることもできないほどの精神状態だった」というセリョージャ・‥・・
SPでリンクに登場した彼は、げっそりと筋肉の落ちた肉体、そげた頬、尖った顎。まるで別人のようでした。
カップオブチャイナのキスクラで、
「マックス(トランコフのこと)!4T-3Tやったよ!いぇい!」
とはしゃいでいたあの時から、半年と経っていないのに・・・・・・

CoCキスクラ


トリノワールドSP後インタビュー


こんなにやつれてしまって。。


そして、このトリノワールドはSPでボロデュリンの靴のブレードが破損して棄権、という不運に加え、スタミナ不足となったセリョージャは14位という成績に終わりました。
トリノワールドの演技のあと、普段ならさっさと立ち去るキスクラを何度も振り返り、そしてウルマノフに何度も何度も
「スパシーボ」
と繰り返していたのが気になりました。

・・・・・・そして、来期は彼を見ることができないんじゃないだろうか?との不安にも駆られたのでした。

(続く)

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プロフィール

Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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