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セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(4) ―試練をポジティブに受け止める

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まずは(1)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(1) ―白皙の美少年が青年に―
続いて(2)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(2) 挫折からの羽ばたき
そして(3)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(3) ―我慢とプライドのせめぎ合い
こちらも合わせて→セルゲイ・ヴォロノフの欧州選手権の足跡 ― 初出場(2008年)から今年まで
ユーロを終えての彼のインタビューがこちら→ロシアン・フィギュアスケート・フォレヴァ(ユーリさん、いつもお世話になります!)

いやぁ、本来ならこのセリョージャシリーズ、バンクーバー前・後の2回で終えるつもりだったのですが・・思い入れが強すぎて倍になってしまいました。
冒頭写真はスケーティングシーンを、と思ったのですが、この分厚い紙の本を読んでいるところがいかにも彼らしい、と思ってセレクトしてみました。

(3)で、彼がモロゾフを離れ、エテリ・トゥトベリゼコーチの元へゆく決意をしたことを書きました。

当時の私はエテリ・トゥトベリゼ女史というと、リプニツカヤのコーチで、ジュニア女子を育てるのが上手い人、というイメージしかなかったので、若手ばかりの中へもうベテラン、という年齢でもあるセリョージャが入っていってうまくやれるのか、と少しばかり心配でもあったのです。
セリョージャ自身も、最初こそは若手たちばかりの中で居場所がない、という思いをしたようですが、妙なプライドを捨てて飛び込んでいったセリョージャ、そして暖かく迎えてくれたコーチたちのおかげで、上手く溶け込んでゆくことができたようです。

また、内省的になりがちだったセリョージャの良い部分も残しながら、ポジティブに練習に向かわせたエテリコーチの手腕は大きいと言えるでしょう。


特に彼に再びトリプルルッツに取り組む決意をさせたことです→還ってきたヴォロノフのトリプルルッツ
そしてその初戦となったフィンランディア杯は日本からは羽生くんが出場したこともあって、TV放映もされたので、セリョージャは「リプニツカヤのそばにいたなんか怪しい兄ちゃん」と言われていました。

セリョージャの7年ぶりとなった3Lzの入った演技


メダルセレモニーを待つ羽生結弦、鈴木明子、ヴォロノフ、ガチンスキー、リプニツカヤ


男の子の雰囲気は随分と変わりますね、この頃の羽生くんはまだまだ子供子供してた感じがします(あくまでも今比で)

そして、エテリコーチのところの若手たちとセリョージャがスムースにいったのは、もちろん彼のものにこだわらない性格もあるんだと思いますが、ナショナルチャンピオン経験者であり、GPS出場枠を2つ持ち、前年には台乗りもしている選手だった、ということが大きいと思います。
先日、ユーロを見ていましたが、ミニマムスコアをクリアすることだけでもどんなに大変なことか。
ほとんどの人々はTVに映る選手しか知りません。その他の選手が、そういったスポットライトを浴びている選手のことをどう見ているのか、想像する由もないと思います。
「あのメダリストが俺たちのグループにくるんだって!」
と若い子達が沸き立ったとしても不思議はないと思います。

そんな中、セリョージャは奢り高ぶることなく、
「若手からアドバイスを求められれば出来る範囲のことは教え、そして自分も刺激を受けた」
と語っています。そして、外部の「あいつもうオワコンだろ」的な視線を払拭するのに必死だったようです。
「このグループに来て、初めてポジティブにスケートに向かうことができた」
とセリョージャは語っていますが、若手たちから元気をもらい、自分のアドバイスに感謝されることによって張り合いも出た、ということがあるのではないかな。
そして、エテリのところに来てから、彼のプロトコルは見違える程綺麗になりました。とにかくミスや取りこぼしを減らし、古傷とも相談しながら、出来る限りのことをする。

そして、ナショナルを迎えます。結果は3位。五輪出場は遠のいたか、と思われましたが、そのEXで彼が演じたのがこれです。「兵士の夜」(戦わずして)諦めない、という意味だそうです。


そして彼はユーロ直前のインタビューでこのように述べていました。

++++++

Q>あなたは似たようなシチュエーションの真っ只中にいたことがありましたね。その際あなたは補欠に回された。以前ニコライ・モロゾフがバンクーバー選考の際に受けたあなたのトラウマを治すのに半年を要したと言っています。

V>あの悲劇的な出来事があったからこそ、僕はここまで強くなれた、と今となっては言うことができます。
当時は、どうしたらいいいのか、どこへゆけばいいのか全くわかりませんでした。
しかし、あれから4年が経った現在、あの頃あれだけ望まれたボロデュリンはどうなりました?
(選手としてのキャリアを)終えてしまいました。
では僕は?
ここにいます。欧州選手権に対峙しています。
続けているんです。

それだけではありません。毎年行われる過酷なロシア選手権に参加し戦い続けています。その中で、表彰台落ちは1度だけ、それも4位です。この熾烈な競争の中に身をおいているんです。

誰がどのような人間であったかは時が経つにつれて明らかになります。
人生は全ての人々に試練を与えます。その中である者は脱落し破壊され、けれどもまたある者はそれを乗り越えて歩み続けてゆくのです。

++++++

ユーロの演技


セリョージャがとにかく大切にしているのが、「実績を上げ続けること」であることがこのインタビューからもわかります。それは、自分と同年代で周りに居た、おそらくは自らより才能もあったかもしれない選手たちが次々と姿を消してしまったこともあるのでしょう。ドブリン、ルータイ、ウスペンスキー兄弟、グリャーツェフ、ボロデュリン・・・・
彼らの中で唯一残った、と言えるのがセリョージャだったのです。

そして、ユーロではロシアトップの成績を上げながらまたも五輪派遣はならず、今シーズンを迎えます。

結果から言えば、シーズン最初のネーベルホルン杯が4位だったのみで、後の国際試合は全て台乗り(フィンランディア杯、ロステレコム杯、NHK杯、GPF,欧州選手権。この安定っぷりはすごいです。まるで大河ドラマの脇を固める名俳優のよう。

そして、NHK杯の表彰式では初優勝で「信じられない」といった仕草をしているダイスを無良くんとともに優しくいたわる光景がお茶の間に流れ、「すごいいい人じゃん」と好感度がアップしたのでした。
おそらくはグループ内でも後輩たちにああやって接しているんだろうな、そして慕われているんだろうな、というのがよくわかる光景でした。これは多分ロステレコム杯の演技中ですが

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ジャンプの着氷時、一番前でフェンスにかぶりついて見ているアジヤン、そして必死な眼差しの女の子たち。
セリョージャがエテリ組の中でどういう存在なのか、どれだけ慕われてるのかよくわかる一枚です。

ロステレコム杯 SP


このロステレコム杯のSPは今年の今のところベストではないかな。解説していた織田くんが特に4T-3Tのことを
「何度でも見たくなるジャンプですね」
と言っていたのを思い出します。

そしてFSとEXはNHK杯




この時、膝の調子が悪かったらしく(早朝練習後、膝をアイシングしながら羽生と肩を組んで笑っている写真が彼のインスタグラムに上がっていました)、演技もかなりきつかったようですが、それでもきちっとやり遂げ、初のGPF出場を決めた。
EXでジャンプが1つしか入っていないのは多分それが一因だろうと思いますが、私はこのバージョンが一番好きです。
特に最初のループターンから始まるところ、見せ場の長いイーグル。本当に彼らしいいいプロだと思います。
大人の男にこそ表現できるプログラムではないでしょうか。メンショフの「Shape of my heart」にも同じことを思います。

セリョージャは、落ち込みそうになった時、くじけそうになった時、自分に問いかける、と言っています。

「お前はどんな人間なんだ、弱虫か?それともこの状況を跳ね返す強さを持っているのか?」と。

様々なインタビューでこのセリフを聞きました。おそらく、セリョージャの答えは昨年にユーロ前のインタでも言っていたこれなのでしょう。

「誰がどのような人間であったかは時が経つにつれて明らかになります。
人生は全ての人々に試練を与えます。その中である者は脱落し破壊され、けれどもまたある者はそれを乗り越えて歩み続けてゆくのです。」


この信念がある限り、セリョージャはいかなることがあっても立ち直ってくれる、と信じています。
それまで、じっと見守っていたい。
彼が自ら満足してスケート靴を脱ぐまで。

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セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(3) ―我慢とプライドのせめぎ合い

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昨日の(1)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(1) ―白皙の美少年が青年に―
続いて(2)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(2) 挫折からの羽ばたき
こちらも合わせて→セルゲイ・ヴォロノフの欧州選手権の足跡 ― 初出場(2008年)から今年まで
ユーロを終えての彼のインタビューがこちら→ロシアン・フィギュアスケート・フォレヴァ(ユーリさん、いつもお世話になります!)

(2)までで、セリョージャがウルマノフから離れ、モロゾフについた事を書きました。みなさん彼について結構ご存知の方が多いのはこのモロゾフ時代からなんじゃないでしょうか。

サッカーボール、高橋くんと見まごうかのような「道化師」・・・・・・・・・

正直、モロゾフのところにいた頃は彼にとっての黒歴史なんじゃないかと思えるほどです。しかし、これもまた必要な時期だったのでしょう。セリョージャはあるインタで
「我々ロシア人にはアメは要らない。必要なのはムチだけだ。アメを必要とするのはほんの少しだけ」
というような例え話をしていましたが、まさにこの時期がセリョージャにとって「飴」を必要としていたのでしょう、精神的にも、肉体的にも。
実際、この時のコーチ探しの際にも、エテリ・トゥトベリゼのトライアウトもしていたそうです。まだ、時期ではなかった、ということなのかもしれません。

そして、2010‐11シーズン。

SPは「ロクサーヌのタンゴ」(モロゾフ、お前なー!!)
FSは「ラフマニノフピアノ協奏曲3」
これはセリョージャ自身の意志らしく、
「2002年から、ずっとやりたくて憧れてたんです。アレクサンドル・アブトがやっていましたから。そしてこれはラフマニノフがアメリカ公演のために創ったと聞いています。僕たちもこれからアメリカに行くことも多くなるから(モロゾフはこの当時ニュージャージーに主な拠点を置いていた)縁があるかもしれませんね」
と言っていたのでした。

セリョージャが憧れていた、というアブトのラフマニノフ


しかし、この年は序盤から怪我続き。カレンダーコンペも捻挫でSPのみで棄権。
GPSでも足の具合は良くならず、CoCでは冒頭のクワドに失敗し、靭帯断裂で棄権。




思わず目を覆いました・・・・・・。

しかし、言葉は残酷ですが、ISUが回転不足を厳しく取るようになったのは、こういった事故を防ぐためでもあったのではないか、と思ったのでした。高難度ジャンプを跳び、とにかく跳んで降りれば勝ち、的な風潮が出来ていましたから、自然と怪我も多くなって選手生命も短くなってきていました。カルガリー五輪の「ブライアン対決」の時のオーサーは27歳、ボイタノは25歳です。

この怪我が後を引き、GPSの残りの1試合も棄権することとなりました。そしてようやく間に合ったロシア選手権のFSです。


クワドありません、ルッツ、フリップもありません。しかし3A2本をきっちりと降り、この時やれるだけのことはやってのけた。1位のメンショフがコンボを1つノーカンにしたとはいえ、フリーのTESではトップでした。こういう我慢の行き方もあるのだ、と思っていたかもしれません。
モロゾフが生徒をたくさん抱えていたせいか、キスクラにいるのはクドリャーツェフ氏(現ロシアスケ連名誉コーチ)。
ジャンプはおそらく彼が指導していたのでしょう。

確かに、彼も跳びたかったでしょう、憧れていたアブトのように。セリョージャの美しいクワドを知るものには、冒頭の3Tが余裕過ぎて哀しくさえ思えます。
最終結果は4位。これで彼はユニバーシアードに派遣され、織田くん、ダイスとともに台乗りを果たしました。しかし、ISUのポイントはゼロ。翌年のGPS派遣は1試合となってしまいます。
「チャンスは1度しかない。だからそこで何とでも台乗りして、僕の力が落ちている、というのは間違いだ、と認めさせなけりゃならない」
と述べていました。


2012-13シーズン

前シーズンは「とにかく遅れを取り戻さねば」という思いからか、焦っては怪我、完治せずに取り組んではまたケガの悪化、を繰り返していたように思います。
サッカーボールプロに関してはこんなインタを残してます→ボクは氷上のサッカー選手になります!(テストスケート直後、動画もあります)
そしてあの衣装(特定のチームの衣装に似てしまってはまずいからでしょうか?)になったわけですか。w
ただ、モロゾフを弁護するわけではありませんが、このプログラムはスケーティングが上手くて小芝居も達者な、洒脱なタイプの選手がやったらすごく生きたと思うのですね。例えばバリエフ(現リギーニ)、アモディオといったような。そういう意味では選手にもプロにも不幸だった、と言えるかもしれません。

セリョージャもやはりピンと来なかったのか、周りが不評だったのか、後半にはプロを変えてきました。

やはりアブトのやった「アルメニアン」です。こっちのほうがはるかに良かった。滑り込んだこのプロを見たかったです。


そして同じ世界選手権。FS「道化師」


このプロに関しても言いたいことはいくつもありますが、この動画を上げるだけにしておきましょう。

思いっきりスタオベするトランコフが微笑ましい。というか、バンクーバー以降のセリョージャの悲しみ、苦しみを本当に知っていた彼だからこそでしょう。できるなら私も横ですたおべしたかった(笑)


2011-12シーズン

この頃から彼はメンタル的にも完全に立ち直ってきたように見えます。ただ、ウルマノフのところにいた時より、スケーティングが明らかに劣化(エッジの深さ、スピードなど)してきているのが気になり始めました。また、腕の動かし方など、基礎的な部分もおろそかになってきているようにも。
モロゾフは受け持っていた生徒が多く、その度に付き添って大会に出かけていくので、残された選手は自主練習、というような形だったようです(これは当時のリード姉弟のブログを見てもわかります。)
その中でセリョージャは年かさということもあって、アシスタントコーチ的役割(実際に生徒を教えるわけではなかったでしょうが)をになっていたようです。衣装など見てみるに、金銭的な面もあったのかもしれません。残していく生徒を監督してくれる分ギャラを安くするから・・というような(あくまでも推測です)

ただ、選手としては自分に打ち込んでくれるコーチが欲しいものです。打ち込んでくれて、叱咤激励してくれて、それでも上手くならないのなら諦めも付きます。自主練では限度があります。袋小路に入ってしまった時、ほんの少しでいいからアドバイスが欲しい。そういった人を求めてジプシーのようにコーチを渡り歩く選手もいます。
この頃のセリョージャからはそういったもんもんとした悩みが感じられました。EXなど見ても、雰囲気を出すのは本当に上手くなっているんですね。ただいかんせん、その技術がない、ということであがいていたようにも見えました。

2012 RN EX 「キャンドル・ライト」「私の命の蝋燭が燃え尽きるまで歌い続ける」といった感じの歌詞で、EXでよく使われます。もちろんアブトのお得意の演目でもありました。



2012-13シーズン

この年は、しょっぱなからなんか吹っ切れていたような気がします。度胸が据わった、というか。
とにかく今自分の出来るだけのことをできる限りやればいいんだ、というような。そして、コーチ替えも視野に入れ始めていたんじゃないかな。五輪のためにも、とにかく自分をステップアップさせなければ、と決心したんじゃなかろうか、と思います。

SPが「ヤブローチカ」(これも確かアブトがやってたことあったような)


FSが「ロミオとジュリエット」(全露)


そしてこの年、久方ぶりにGPSの台上に返り咲き(CoC)をはたしました。
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そしてシーズン後、彼はモロゾフに別れを告げ、エテリ・トゥトベリゼの門を叩いたのでした。一段高い道を、大きなステージを求めて。

<続く>


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テーマ : フィギュアスケート
ジャンル : スポーツ

セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(2) ―挫折からの羽ばたき


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昨日の(1)です→セルゲイ・ヴォロノフの歩んだ道(1) ―白皙の美少年が青年に―
こちらも合わせて→セルゲイ・ヴォロノフの欧州選手権の足跡 ― 初出場(2008年)から今年まで
ユーロを終えての彼のインタビューがこちら→ロシアン・フィギュアスケート・フォレヴァ(ユーリさん、いつもお世話になります!)

コーチと別れ、故郷のモスクワから出てきた少年が、苦難の道を乗り越え、ロシアチャンプとなり、五輪切符まであともう少し、というところまで来てそれを失った。そしてメンタル的にもかなり参っているところに世界選手権に引っ張り出され、結果をだすことができずに自分を責め苛んでいた、というのは前回までに書きました。

ボロデュリンの靴の破損による棄権があったとはいえ、確かに彼の持っている力全てを出し切った演技、とは言えなかったからでしょう。キスクラを退けるときに、ウルマノフに何度も「スパシーボ」と言っているのが放映にも入ってきました。
多分、かなり国に帰ったら彼は批判を浴びるのだろうな、というのは予測がつきました。案の定、お偉方からは
「メンショフ(彼はワールドの補欠に入っていました)を出しておけばよかったんだ。ジュベールがあの成績を取れたなら、メンショフだっていけたはずだ」の声。
しかし、当時のメンショフはやっとGPSに顔を出すことの出来た選手。WSからいけばセリョージャとは比べ物にならない位置にいました。滑走順も最初の方だったろうし、PCSも出にくかった(ただでさえ今でも彼はPCSが低い)でしょう。
だからこそ、病を押してでもセリョージャを出したんであろうのに・・・

彼は
「選手はいかなる状態にあっても、行け、と言われれば行かなければならないんです。そして相応の成績を上げなければ」
と常に言っていましたから、自分がナショナルメンバーである以上、NO,とは言えなかったのでしょう。

その頃は、
「みなさんに、そして家族に迷惑をかけて本当に済まない」
というお詫びと、自らを責めさいなむようなインタビューばかりが入ってきて、本当に辛かったです。ワールドでのげっそりとやつれた顔を思い出すに、もう来年は彼の姿をリンクで見ることはできないのではないか、と覚悟しました。

そんな時、ウルマノフのインタビューが出ました。(当時のPCがクラッシュしてしまってソースを出せなくてすみません)

++++++

「セリョージャは、自分がモスクワ生まれである、と繰り返し言いました。そして、ペテルブルグは自分には合わない、と。ネヴァの流れですら自分の眠りを妨げる、と。
我々は6年間彼と一緒にやってきました。そして、彼に快適な生活を送らせるよう、全てを尽くしてきました。フィギュアスケートアカデミーの側にアパートを無償で提供し(最初は1部屋、現在はベッドルーム付きの2部屋)、トレーニングに関しては申し分のない状況を与えてきました。
しかし、そんなアスリートが、故障の原因を曇り空に求めてもどうしようもないのです。コーチが太陽を作り出せるとでもいうのでしょうか?それは無理です。・・・・以下略」

+++++++
以前からセリョージャは、サンクトペテルブルグという町について、ボクには合わない、生まれ育ったモスクワが恋しくなることがある、というようなことをよくインタで言っていて、それがちょっと気がかりではあったんですが、ただ調べてみるとモスクワとサンクトという都市の気質の違いはかなりなものらしく、ロシアでも、「モスクワっ子はサンクトには住めない」などといわれているそうです。母、と父、に例えられるくらい、気質がぜんぜん違うようなんですね。
「大いなる田舎」「母なるロシア」って感じで、何でも受け入れてしまうような(ある意味ではごちゃごちゃした)感じのモスクワと、「北のヴェネツィア」といわれる古都で、文化的にも欧州に一番近い、といわれ、住んでいる人もプライドが高いサンクト。

ウルとセリョージャの関係っていうと、

“京都の会社でお公家さんの出の上司と、下町生まれの生粋の江戸っ子が一緒に仕事してる”

って感じだったのかなぁ。巧くいっているときは、お互いがお互いにないものを見つけ出していくような感じで巧くいっていたんでしょうが、ひとたびつまづくと・・・・

それで思い出したのが、「智恵子抄」のなかの「あどけない話」でした。お恥ずかしいですが当時書き散らしたものを。

+++++
セリョージャはピーチェルに空がないと言ふ、
ほんとの空が見たいと言ふ。
私は驚いて空を見る。
エルミタージュの向こうに在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのグレーの空だ。
たゆたうネヴァの流れの音は
大帝の昔から歴史を運ぶ。
セリョージャは遠くを見ながら言ふ。
赤の広場の葱坊主の上に
毎日出てゐる青い空が
セリョージャのほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

元ネタはこれです↓
http://homepage3.nifty.com/torabane/meisaku6.htm

祖父母の代からのサンクト育ち。
そしてスターリングラード包囲戦を生き抜いた祖父母をもち、ソ連崩壊にも耐え抜き祖国に栄光をもたらした鋼鉄の意志、金剛石のプライドを持つウルには、ここまでモスクワを恋しがるセリョージャがどうしても理解できなかったのかもしれません。
切ない話です。

そして、しばらくしてセリョージャがウルマノフと離れ、モスクワに戻る、ということが発表されました。当時彼は古くからの友人でもあるレオノワちゃんに相談もしていたそうです。

彼女は、『彼は愛する故郷であるモスクワに帰ったのです』と、ブログに記していました。

そして、セリョージャの「これから生きていくためには環境、そして生活を根本から変えなければならない」
という短いコメントがありました。私はその中の選択肢に、「スケートを続けること」もあって欲しい、と心から祈ったのでした。

それからしばらくして彼がモロゾフと組んで再出発を図る、ということが発表されました。うーん、モロゾフ・・・・と思いつつも彼がスケートを続けてくれることに本当に安堵し、また、モロゾフとセリョージャ、ということで化学反応みたいなものが起こって何かすごいものができるのでは、などと期待したりもしました。

<続く>

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プロフィール

Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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