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小塚崇彦さんとの出会いと思い出 2006年世界ジュニア選手権


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(左より、セルゲイ・ヴォロノフ、小塚崇彦、ヤニック・ポンセロ 2006年世界ジュニア選手権表彰台メンバー)

先日のSOIでの小塚くんの引退セレモニーでしみじみしているわたしなのですが・・・・
上の写真は2006年の世界ジュニア、小塚くんが初優勝を飾った時のものです。まさか、この中でセリョージャが一番最後まで現役として残るとは、正直思いもしませんでした。

実はこの頃は私は、ソルトレイク五輪が終えて、ヤグディン、エルヴィス、トッド、といった熱を上げていた選手が引退し、少しフィギュアスケートから遠ざかりつつあった時期でした。いや、もちろん追ってはいましたよ、本田武史がいましたし!

そして、そんな私に友人が、
「日本のトッド、いや、カートになれる子が出てきたよ!」
と言って見せてくれたのがこの大会の録画でした。もちろん私は半信半疑。
画面に映し出された小塚くんを見て、「えー、このモンチッチみたいな子が!?嘘でしょ?」と思っていたわけなんですが。。。

小塚くんSP


彼が滑り出すやいなや、そのジュニア離れした足元に釘付け。「うわぁ、ほんとだ!将来が楽しみだねえ!」と叫んでいたのでした。(この当時はジュニアではアクセルが2A、とされていたため、3Aを入れるためにはコンビネーションにしなければなりませんでした)

小塚くんFS


そして彼はこのFSでSP2位からの逆転優勝を飾ったのでした。
そして、友人が「もう1人、懐かしい顔がいるんだけど、見る?」といって見せてくれたのがこちらのセリョージャの演技。

セルゲイ・ヴォロノフFS


なんと、キスクラにウルマノフが!
「えええー、この子ウルの弟子なの?やだー、どことなく仕草とか似てると思ったら!マジで!?絶対応援しちゃう!」
となり、今に至るわけです(笑)
いわば、小塚くんは私をセリョージャに出会わせてくれた恩人、と言えるかもしれません。
そして、「よし、日本ではこのモンチッチ(ごめん小塚くんw)を、海外ではこのウル様の弟子を応援していこう!」と私は再びフィギュアスケートに熱中し始めたのでした。

そんな小塚くんの、思い出深い演技をいくつか。

2007-8シーズンのSP「キャラバン」この衣装は、GSのバイトとか、ヤクルトの販売員、とか言われていましたが(笑)、私は彼らしくてとても好きです。


そして、昨年(2015年)の世界選手権。SPで出遅れ、第一滑走、第二滑走が小塚、無良、と日本男子が続いたことを印象深く覚えていらっしゃる方も多いでしょう。
currentしかないTESカウンターが、第一滑走者であることを示しています。彼の必死さが伝わって来るようで、この演技もとても好きです。


小塚くんの思い出は本当に尽きないのですが。。私が小塚くん、といえば何をおいても上げたいのがこの演技です。彼には、ルールやレベルにとらわれず、もっともっと氷の上を自由に駆け回って欲しかった。そういう意味では、彼のショースケーターとしての未来にこそ期待をしていた部分もあるのですが、彼自身の選んだ道ですから寂しいですが仕方ない。
解説が、タケシなところがまた泣けます・・・

2009年 4CC EX 「ラストダンスは私に」


彼は、文字通り「ラストダンス」を終えて新しい未来へと旅立っていったわけですが、そのセカンドキャリアに幸多かれ、と祈らずにはいられません。


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【加筆・改訂】キーラ・コルピインタビュー ―欧州選手権にて


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(Andrey Simonenko氏撮影)

ロシアのジャーナリストで、いつも興味深い記事を書いてくださるアンドレイ・シモネンコさんが、昨シーズンで引退したキーラ・コルピがTVの仕事で欧州選手権に来ていたのを捕まえてインタをとってくださったのでご紹介。
長いので抄訳となりますが、興味のある方はぜひ全文読んでいただきたいと思います。(ロシア語⇒英語⇒日本語、と訳した上、翻訳にはあまり自信がないので、誤訳ありましたらご指摘ください)

ロシア語者のフォロワーさんのご協力を得て、訂正と加筆を行いました。本当にご協力ありがとうございました!


「ハッキネンがフィギュアスケーターに、コルピがF1ドライバーになる?」
アンドレイ・シモネンコ 

S>キーラ、あなたは自らのインスタグラムに「Explorer of life」と記していますね?それはフィギュアスケーターとしての現役を終え、遠ざかってしまっている、ということなのですか?


K>そうですね、そこに何を書こうか、長いこと考えていました。
"Figure skater"?ええそう、確かに現役を終えるまではそのとおりでした。常にフィギュアスケートとのつながりだけだったわ。
でも私は考えたの。私の人生にはそれだけしかないのかしら?他には何も?
私はこれからその何かを探していこうと思うのです。もちろん、フィギュアスケートは私の人生の大部分を占めています。しかし、これからはもっと様々なことにトライしていきたいのです。


S>それはどのような?


K>プロフェッショナルなアスリートの生活をご存知ですよね。それは練習だけではありません。プラスしてさらに不変のやる気と意欲が必要よ。
自分の前に目標を立て、それを現実化し、また新しい目標を立て…。
アスリートでいること、それは圧迫の下で暮らすことなの。
一方で私は今、ただ単に生活することを試しています。以前は、たとえば一瞬たりとも、何もしないでいることはできなかったわ。そして、そんなことをしてはいけないのだと思っていました。でも今は何も考えないでいることを楽しんでいるわ。


S>テレビでの(解説の)仕事は新しい挑戦となりますか?


K>いいえ、これは欧州選手権一度きりのプロジェクトなの。けれど、私は大体において気に入っているわ。
アリーナの外、ということなった角度から大会を見る、というのはとても興味深い体験だったわ。そしてさらに重要なのは、とにかくフィギュアスケート自体を楽しむ、ということができたことね。(選手として)大会に出場していた時は自分自身のみに集中していたから、楽しむ、なんて思いもよらなかったわ。

++++中略++++


S>(この欧州選手権の)解説の仕事の他にも、現役を終えてからチャレンジした事柄ってありますか?いくつものアイデアがあるのでしょう?


K>私は来週から、出演するリアリティ・ショーの企画をカリフォルニアで開始するの。
それはフィンランドのテレビのプロジェクトで、我が国の現役を退いた著名な六人のアスリートが、自分の種目と異なったものに挑戦してみよう、というもの。私がF-1ドライバーに挑戦する、とかね。


S>そしてミカ・ハッキネンはフィギュアスケーターになるのですか?


K>そうじゃないかしら?((笑))
でも、まだまだ明らかにできるような考えって具体的にはないの。何事にもトライしていかなくちゃ、と思っているわ。むしろ今は腕を深く折りたたんで準備中、というところかしら。


++++中略++++


S>あなたは現在のロシアのスケーターの中で、誰が一番好きですか?


K>エレーナ・ラジオノワをあげたいわ。彼女は今シーズン、技術的にも素晴らしい成長を遂げたわ。そして常に強かった。もう彼女は大丈夫ね。ただ、説明しておかなければならないけど・・
エフゲニア・メドヴェージェワから、私は美しさと、軽さと、柔らかさを氷上で見い出すわ。それらはまさに理想的よ。
けれども、私はラジオノワの方がより好みだわ。なぜって、彼女を見ているとまるで音楽が不必要なように思えるの。彼女は全身で音楽を感じていて、どんな時でも彼女から調べが聴こえてくるような気さえする。そして、私が思うに、レーナは1つ1つのムーブメントが合一し、さらにエレメンツがひとつに溶け込んだ、そんなプログラムを創り出せるポテンシャルがあるわ。
それは、まさにアイスダンスのパパダキス&シゼロンが行っているものよ。あなたが彼らを見るとき、それがプログラムであることすら忘れてしまうでしょう?

それと同時に、他のロシアの女子選手も高いスキルを持っています。
けれども私は他の選手よりも、レーナが技術をしっかりと抑制し、スケートの喜びを観客に訴えかけることのできる選手だと思うわ。


S>新聞や雑誌に、「スター(名選手、の意味で使っていると思われます)達からの助言」といった欄があることはご存知でしょうか。
私があなたにロシアのフィギュアスケーターたちにアドヴァイスをお願いしたなら、なんとおっしゃってくださるでしょう?


K>既に彼女たちはスターよ(笑)
そうね、私が彼女たちに告げるとしたら・・・・こう言うわね。

フィギュアスケート、それはとても素晴らしいスポーツの一つよ。あなたたちがこれをしている、というのはとっても大切なことなの。
けれども、人生においては、ほかにもたくさんの価値あるものやかけがえのないものがある、ということは忘れないでもらいたいわ。
宇宙のスケールに照らしてみれば、人生は本当に短いわ。その中でもスポーツをできる時間、現役でいられる時間は本当に限られてる。
だから、頭の中をフィギュアスケートだけでいっぱいにするのはどうかやめてほしいわ。
私もそうだった時があるけれど、その時私は生きるということの喜びや楽しみを見失ってしまっていたように思うの。
そのようにしていると、試合の結果や練習での上達具合が人間としての自分をも位置づけているように思い始めてしまいがちなのよ。もし試合で良い結果を出せば、「よくやった」ということになる。けれどもそれができなかった時には、どこにも自分の居場所をなくしてしまうわ。そういった間違いを犯してはダメ。
フィギュアスケートを自分の生活の全てとして考えるのはどうかやめてちょうだい。
あなたがどんな人間で、どんな個性や魅力を持っているか、ということは、あなたが競技会で何位になったか、という業績とは全く関係がないのよ。


=====本文=====



すみません。あまり上手く訳せなかったです。ごめんなさいm(_ _)m



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ID:39edbeそして「SEIMEI」へ・・・。獅子は龍の道を拓いた ―エルヴィス・ストイコ

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オータム・クラシックにエルヴィス・ストイコが見に来ていて、羽生さんの「SEIMEI」に賞賛を送っていた、と聞きました。
そうでしょうそうでしょう、と思ったのですが(笑)、彼は羽生さんの中に自らの後継者を見たのではのなかったでしょうか。
エルヴィスといえば、無敵のクワドジャンパー、のイメージが強いですが、私の中では彼のステップが忘れられません。パワーでグイグイ押していく、それでいて繊細な、音楽にものすごくハマった男らしいステップでした。

そして、なんといっても彼の功績はジャンプ等の技術ではなく、当時西洋音楽(それも特にクラシック)、西洋舞踏を根幹とする表現だったフィギュアスケートに、東洋テイストのものを持ち込んだ、ということです。そして、こういった東洋系のものは男子の一分野ともなっています。

カナダ育ちのエルヴィスが、どうしてこういった分野に目を向けたのか。以前(2007年)書いたものからあげてみました。

++++++++++++
 エルヴィスは、4歳のころからフィギュアを始めたんだそうですが、もうひとつ、幼いころから習っていたものがあります。それが、なんと、空手なんですね。
 
 エルヴィスのご両親は、両方とも東欧からの移民で(お父さんはスロベニアから、お母さんはハンガリー動乱を逃れてハンガリーから)。いわば、当時の冷戦の狭間で、大国間の政治に翻弄されて生きていらしたわけですね。そして、たどり着いたカナダで、家庭を持ち、何とか幸せをつかんだ。そして、生まれた子供に、お二人ともがファンだったという、エルヴィス・プレスリーの名をつけた。
  エルヴィス―。この名には、豊かなアメリカ(に代表される西側)へのお二人の憧れが、ひょっとしたら籠められているのかもしれません。。
 そして、お父さんは、自分の身は自分で守れるように、と物心ついたばかりの息子に、護身術を習わせた。その中で、エルヴィスが選び取ったのが、ブルース・リーに憧れたこともあって、空手だった、ということのようです。
 しかし、このご両親の半生を知ると、“自分の身は自分で守れるように”という願いに、ものすごく重いものを感じざるを得ません。'70年代当時のことです、今ほど子供が危険にさらされてたわけじゃない。そんな時代に、幼い子供に護身術って・・

 そして、エルヴィスはフィギュアスケートと空手、両立させながら、成長してゆきます。そんなエルヴィスがコーチのダグ・リーに出会ったのは13歳のときでした。当時のダグはすでに、世界チャンピオンであり五輪のメダリストでもある、B・オーサーを育てた名コーチ。エルヴィスは早速ダグに見込まれ、指導を受けるようになるわけなんですが・・・
  私が興味深いのが、そうなってもエルヴィスは空手を続けていた(ダグは続けることを許した)ということなんですね。もしこれが日本だったら、「無駄な筋肉がつくから止めろ」とか、「そんな暇があったらスケートの練習をしろ」とかいわれそうじゃないですか?
 空手のほかにも、エルヴィスは、ダートバイクで林道を走ったり、モトクロスをやったり、男っぽい趣味全開してゆきます。彼が、空手の黒帯を取ったのは16歳のときでした。
 もちろんフィギュアスケートにも熱中します。ジュニアのころから、彼のジャンプは高い評価を受けていましたが、
「ジャンプし、回転する機械」
などとも揶揄されていました。しかしダグは、
「これからの彼の経験が必ずや彼の芸術性を高めてゆくはずだ」
と述べています。
 そしてエルヴィスは順調に成長し、18歳('90年)4回転ジャンプを飛び、19歳('91年)に4-2のコンビネーションを完成させます。おそらく、このころの、エルヴィスのコメントが残っています。

<記事のURL紛失してしまってすみません>
***
 がっしりとした5フィート7インチの体躯、波打った黒い髪と東欧的な彫りの深い顔立ち、黒い眼・・ストイコは、スポーツに対して、ほとんどありえないような、不可解な見解を持っている。
「私(エルヴィス)は、スケートに、真のスポーツであってほしいのです。武術はスポーツであり、芸術との複合体です。私は、スケートにも同じことであってほしいのです。」
***
(「トロント・サン」より)
(1991年、エルヴィス19歳のときの発言。ちなみに彼が空手の黒帯を取ったのは16歳のとき) 

 この文章からすると、そうでもないかもしれませんが、この記者さん、エルヴィスのコメントにずいぶんと懐疑的です。ま、無理もないです。これを述べているのが19歳のガキです(ごめん、エルヴィス)
 わけのわからん理屈を持ち出して、若造が何言ってやがる、ぐらいにしか思っていなかったかもしれません。

 しかし、上に書いたことでもわかるとおり、エルヴィスにとって、空手(すなわち東洋武術)と、フィギュアスケートは、同じくらい近しいものでした。けして、付け焼刃や思いつきの発言ではなかったのです。おそらく彼は、ダグにも、これを口癖のようにいっていたことでしょう。
  そしてダグは、それをいかに実現させるかを考えていたに違いありません。下手をすれば、単なる際物で終わってしまう。そうさせることなく、エルヴィスのいうような、武術の持つ“美"そして“芸術性”を氷上で表現するにはどうすればよいのか。
 「技術のみのスケート」「マシーン」等と揶揄されていたエルヴィスが、こんなにも若いころから、“芸術とスポーツ、そして武術”について考えていた、ということは、ある意味、とても皮肉なことかもしれません。
 
いくら高い技術を持っていても、それだけでは上に上がれないのがフィギュアスケートです。採点競技である以上、ジャッジに技術点、芸術点共に高い点をつけてもらわなければトップには立てない。
 そして、当時はまだ、芸術といえば西洋のもの、ギリシア・ローマ以来の“美"、そして、バレエをはじめとする西洋舞踏の“美”が高く評価されていましたから、エルヴィスは悩んだ時期もあったろうと思います。

 自分の体格、体型。背が低く、骨太で、筋肉質で、頭が大きく手足が短い。太ったら、やせれば・・なんてもんじゃない。これは自分ではどうしようもないものばかりです。
 まして、おなじコーチに、B・オーサーが師事していて、すぐ身近にいた。手足が長く、顔が小さく・・スタイルは申し分なく、氷上で映えるオーサーが・・・

 しんどい時期を過ごしたんじゃなかろうか・・と思います。実際、「バレエは僕には向かない」というコメントも残しています。

 しかし、これが逆にエルヴィスに、自分を見つめる機会を与えてくれたのかもしれない。自分の技術が、自分の肉体が、自分の知識が、何をどう表現でき、また、できないのか。

 彼はとことん、それを見つめたんじゃないでしょうか。そして、行き着いたのが、幼い頃からやっている、空手だった。
武術を、いかにして西洋人も認める芸術へと昇華させるか。それが、次なる彼の課題となったわけです。
 
 エルヴィスの幸運は、そこにダグがいたことでした。ダグは、エルヴィスの考えを理解し、その実現の方法論をしっかりと叩き込んだ。
 単なる際物として終わらないよう、芯のしっかりとした芸術として成り立つよう、氷の上で、いかに滑るか、曲がるか、止まるかといった、まず、基本から、基礎から、がっちり教え込んだのではないかと思います。
 いかなる個性も、しっかりした基礎の上にこそ、花咲くものだということを、ダグは信念として持っていたのではないかと思います。
 本田武史がダグに師事するようになってから、見違えるように滑りが変わったのが、私には忘れられません。

そんな、エルヴィスとダグが、リレハンメルオリンピックに向けて完成させたのが、このプログラムでした。
「ドラゴンーブルース・リー・ストーリー」
エルヴィス自身が尊敬している、というブルース・リーと、自分の中に培ってきた空手の技とを複合させて、まさに“氷上の演武”という仕上がりになっていました。
 いまでこそ、エルヴィスといえば、ドラゴン、といわれるくらい、彼のトレードマークともなり、評価も高いプログラムですが、発表当時は、ジャッジから、ものすごい拒否反応を示されたのでした。
「武術は芸術ではない」「氷上でカンフーやってる」
それが理由でした。

しかし彼は周りの雑音も聞かず、リレハンメル五輪の出場権を勝ち取ります。
五輪での演技 3Aが抜けたのが残念。


翌日の「トロント・サン」にはこんな記事が載りました。

+++++++
<ジャッジによるストイコへの芸術点での冷遇―勝利に値する銀>

 ジャッジたちが、ブルース・リーよりもチャイコフスキーを好むので、ストイコは昨晩、金メダルの代わりに銀メダルを得た。
 ストイコの長年の天敵であった“芸術点”は、今度は彼のオリンピックフィギュアスケート男子シングルのタイトルを奪い、さらに悩みを深くするために戻ってきた。
 いつもどおり、ストイコはフリーで最高の技術点をたたき出したのだが、ジャッジたちの好みに合ったのは、古典的な演技をする若いロシア人スケーター、アレクセイ・ウルマノフであり、勝利を収めたのも彼であった。

 ストイコは武術と、彼の尊敬するブルース・リーをテーマにフリープログラムを構成した。そして、技術点は9人のジャッジのうち7人が5.9を、2人が5.8をつけた。しかし、芸術点は割れた。ロシアのジャッジの5.5から、5,7と5.8まで。
 
 世界クラスのスケーターであるとともに、ストイコは空手の黒帯でもある。彼の持論は、
「武術は、メンタルで、スピリチュアルな部分が身体的なもの以上です。それは、ひとつの芸術様式であり、スポーツです。その意味では、フィギュアスケートも同じです。この二つは、融合されうるのです」
 であったが、明らかに、ジャッジはそれを否定した。

 ショートプログラムでも、ストイコはウルマノフの芸術点に引けを取らない技術点をあげていたのに対し、カナダ人以外の8人のジャッジが評価したのはウルマノフの方だった。内心失望したストイコであったが、彼はかたくなに自身のパフォーマンスの芸術的側面を守り抜いた。
 そして、ジャッジたちがいかに新しいテーマ(たとえば武術などの)に関して閉鎖的であるかを大衆に示したのだ。

  ストイコのプログラムが、オリンピック会場の満員の観衆によって熱狂的に受け止められたのに対し、ウルマノフのパフォーマンスは、礼儀正しい拍手のみで終わった。
 ダグ・リー(ストイコのコーチ)は、この時が、ジャッジたちが、彼らが彼らが至上のものとする以外の芸術的なスタイルに目を向け始めたときだという。

 「向こうには、また違った味があるのです。」と、ダグは言い、悔しさをかみ殺した。
 「本が、いくつもの章から成り立っているように。私は武術の芸術的価値を見ることができます。そして、他の誰かはそれを見ることができないのだとしたら、不運なことです。」

 フランスの、フィリップ・キャンデロロも、彼自身の斬新なスタイル、演技プログラムのために不利にされているように思われた。かれは、映画「ゴッドファーザー」のテーマで滑ったのだが、銅メダルに終わった。

+++++++

 しかし、この記事の書かれた約一月後に、エルヴィスは幕張の世界選手権で、4-3のコンビネーションジャンプを試み、技術点で6点満点を出し優勝するのですが、その際、6.0をマークしたジャッジは芸術点では1人だけ一番低い、5.7をつけていました。

幕張ワールドでの演技(インタ付き)

 
 あれはいまだに
「お前の技術は申し分ない。しかし,我々はお前の演技が芸術であると認めることはできない」
 というジャッジのこだわりを持ったメッセージだったのでしょう。
 キス&クライ席で、それまで満面の笑みをたたえてエルヴィスと喜びを分かち合っていたダグの表情が、芸術点が出たとたん一瞬曇ったように見えたのは、たぶんこれを察したからだと思います。
"見えざる敵”の意志は、予想通り堅い、と改めて噛締めていたのかもしれません。

そして彼はくじけることなく、長野五輪では和太鼓をフィーチャーした鼓童の「ライオン」をプログラムに持ってきます。
長野五輪


そして、彼のラスト五輪となったソルトレイク五輪で演じられたのも、この「ライオン」と「ドラゴン」でした。

ソルトレイク五輪SP


ソルトレイク五輪FS


現役生活に別れを告げる五輪で、一番自分の思い入れのあるプログラムを演じていった彼。

そして、このような東洋テイストのプログラムはまるで彼の残した遺産でもあるかのように、多くの選手に演じられるようになってゆきます。
このシーズンにも中国のチェンジャン・リーが東洋武術をテーマにしたプロを演じていました。

チェンジャン・リー 2001年 ネイションズ・カップ(本当は五輪の方が印象的だったのですが残っていない・・)


そして、こういった東洋テイストの演技はジャッジよりもむしろ選手たちに受け入れられ、後にも多くのプログラムが作られます。

ペーター・リーベルス  (アジア音楽コレクション) 衣装の胸の「太極」の文字が有名になりました。確かNHK杯に来てたと思うのですがその動画が見つからない。
2008年 フィンランディア杯


ミハル・ブレジナ (鼓童) これはカメレンゴ先生の振り付け。2年継続しました。
2012年 世界選手権


山田耕新 (るろうに剣心) これの全日本バージョンがTVで放映されなかったのは本当に残念でした。彼は雑誌のインタで放送されなくて残念でしたね、と振られ
「剣心は明治になっていづこともなく姿を消してしまう。だから、僕のあのプログラムもそれでいいんですよ」というようなことを言っていましたが・・・
2013年 西日本選手権



羽生さんの「SEIMEI」がどのような評価を受けるのかとても楽しみですが、彼がこのプログラムに挑戦できた裏には、こういったフィギュアスケートの芸術面の幅を広げてくれていた先人たちがいた、ということをファンの方にも知って欲しく思います。
 


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雷光のレジェンド ― アレクセイ・ヤグディン


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今度のテーマにヤグディンを取り上げよう、と思ってはや2週間・・
思い入れの強かった選手、というのは本当にとっかかりが難しいです。あれも書きたい、これも書きたい。。。。と頭の中ぐるぐる状態。動画を見れば見とれて時間があっという間に過ぎちゃうし(笑)

全く罪な男だぜ、ヤグ!
彼はプルシェンコとともに男子フィギュアスケートに一時代を築いたことで有名ですが、当時はファンも真っ二つに分かれていた印象があります。私といえば・・はい、どっぷりヤグヲでございました。

ヤグディンは同性の同時代選手、また後輩選手からも慕われ、憧れの対象となっていたのですが(ついにコーチまでお願いしちゃったジュベールが有名ですね)、セリョージャやアジヤン・ピトキーエフ等もその一人です。そういったヤグヲスケーター達の逸話を書いていくとキリがないので・・・
以前にも取り上げたセリョージャのインタから。
エントリーはこちら→お前どこまでヤグヲなんだ!(爆笑) セルゲイ・ヴォロノフの欧州選手権インタ

’12年のワールドのフリー後のインタビューで、3Aに失敗したことに触れ、
「以前GPFでヤグディンが最初のクワドコンビネーションを転倒したにもかかわらず、2度目のクワドを見事に成功させ、スタンディングオベ-ションで演技を終えたことを思い出しました。
わかります?
僕にとって、これは印象深い見本になってます。とにかく滑りきるんだ、という強い意志を持ち最後までプログラムを行うことの例の一つです。」

あのねー、あんたただヤグの名前出したかっただけでしょ、それも具体的な試合名まで入れて・・・と思いたくなるようなインタですが、尊敬するスケーターは?と聞かれ、
「ヤグディンです、唯々ヤグディンです。彼は僕の子供の頃からのヒーローです」
なセリョージャとしては無理もないことだったのかもしれません。

そんなセリョージャが滑りながら思い起こしたプロ、というのがこれです。
Alexei Yagudin - 2001 GPF Gladiator



そして彼の凄みといえば、音楽の世界に浸りきって、尚且つ観客をもその世界にいざなう力を持っていた、ということだと思います。
このグラディエーターもそうですが、アラビアのロレンス、仮面の男、などスケールの大きさを感じさせる曲を演じ、それがことごとく名プロとして残っているところに彼の偉大さがわかります。

さて、私の能書きなんかはいい加減にして、動画行きます。
2000年ワールドの「トスカ」

この時の表彰式で、エルヴィスが微笑みながら1位のヤグと握手をしていたのが、本当に忘れられません。「王者の継承の瞬間」という感じで・・

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そして王者といえば、ワールドチャンピオン経験者であるパトリック・チャンが今シーズン復帰してきますね。彼のプログラムはショパンの「革命」(それとも、「革命」の入ったショパンメドレーなのかな?)だそうですが・・
「革命」といえばヤグのこれをおいて語ることはできません。
2001年世界選手権 SP


これを見ると、同じ「革命」というタイトルの曲でも、タラソワが何故ヤグにショパンを、セリョージャにスクリャービンを選んだのか、わかる気がします。ここの主人公をはヤグなのでリンクだけ。お時間あったら見てください。
セリョージャの「革命」→2009 CoC SP ヴォロノフ

そして、ヤグといえば2001-2年のソルトレイクシーズンを忘れることはできないでしょう。GPF,欧州選手権、ソルトレイク五輪、そして長野で行われた世界選手権、と大きな大会では全て王座に輝いたのでした。

SPの「ウインター」、FSの「仮面の男」ともに素晴らしいプロが揃い、王者として君臨するのにふさわしいものだったと言えるでしょう。
まずは「ウインター」こちらは長野ワールドのものです。杉田さんの解説で。


そしてやっぱり「仮面の男」はソルトレイクの演技でみたいですね。彼は当時、「世界一美しいトリプルアクセルを跳ぶジャンパー」と言われていて、この時の3Aの着氷が後に新採点システムになった時、GOEプラス3の指標となった、とも言われています。



最後はやっぱり表彰台で締めましょう。2002年長野ワールドの表彰式です(写真)。この大会にはちょっとした逸話があって、ソルトで金メダルを取ったヤグは様々なイベントに駆り出されたりして疲労もあり、モチベーションの問題もあって、最初はこの大会の出場に乗り気でなかったそうなのですが、タケシの電話で出場を決めてくれた、とのことです。なんて言ったのでしょうね。
「もう1度君と戦いたい」?「日本のファンが君を待ってるから」? ・・・・・・それとも両方でしょうか。
そしてヤグは日本に来てくれ、五輪に勝るとも劣らない美しい演技と、素晴らしい笑顔を残してくれたのでした。



まさかこれが彼のアマチュアコンペでの最後の表彰台となってしまうとは・・・・。
いったい誰が予想したでしょうか。アスリートの競技寿命は、哀しいほどに儚い。だからこそ、リンクで、グラウンドで、ピッチで躍動する彼ら、彼女らは忘れらない美しさを我々の脳裏に刻みつけてくれるのかもしれません。

ヤグの凄さを語るとしたら、きっとこの一言で十分でしょう。

アレクセイ・ヤグディン
世界選手権6回出場、優勝4回、2位1回、3位1回。台落ちなし。






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旧採点も捨てたもんじゃない ―独断と偏見の名プロ回顧(男子)


Aleksei Urmanov


GPSのアサインも発表され、DOIなどで限られた選手ではありますが新プロの概要も出てきて、ますますシーズンへの期待が高まってくる時期ですが。。。ここで、旧採点プロをちょっと振り返ってみようかなと。(ええ、もちろん私のことですから男子オンリーです、すみません)

旧採点のプロってつなぎも薄いしジャンプの難度も低いし・・などと思ってらっしゃるそこのあなた!そんなことはないんです、まずこれを見ていただきましょうか、ミスありですがこのジャンプ構成でプロを組める選手が今何人いるでしょうか?

アレクサンドル・ファデーエフの1986年のワールドです。
初っ端の3Lz-2Lo,そして3Aコンボの本来ならステップアウトをハーフループでつないで2S付けちゃう身体能力、そして転倒、とはいえクワドも入れて・・・そして最後まで足が止まらない。
これが30年近く前のプロだ、というのがすごいです。また、彼の得意としていたダブルアクセルシットスピンは現在のルールでは点数にならないのでやる選手がいなくなってしまっています。文字通りダブルアクセルからそのままシットスピンに入るものですが、このプロでは4分ちょっとのところに入っていますね→ダブルアクセルシットスピン




こちらはブライアン・オーサー。そう、羽生くんやハビーのコーチのオーサーの現役時代です。彼はサラエボ五輪銀、そしてそれからワールドで3年続いて銀、ということで「シルバーコレクター」と言われましたが、その彼が初めてワールド金に輝いた演技です。その翌年のカルガリー五輪ではまたもや銀メダル、となってしまったのは皮肉ではあります。
トリプルアクセルを2本成功させたワールドチャンピオン。まさにミスター3Aの面目躍如、というところでしょうか。




そしてこのオーサーとカルガリー五輪で「ブライアン対決」として有名になったボイタノ。
手を上げて跳ぶ「タノジャンプ」の由来となったのが彼です。そして彼といえばスプレッドイーグル。ポジションのしっかり決まった、文字通り大鷲のような雄壮なイーグルでした。
カルガリー五輪の演技が動画で残っていないので、ワールドのものを。ジャンプ構成を変えて、クワドを入れてきています。まるで根の生えたようなバランスのとれたスケーティングが見事です。




続いて、ヴィクトール・ペトレンコ。カルガリー五輪です。18歳で五輪初出場、FS最終滑走で見事ノーミスで銅メダル獲得。
この新鋭の時代が始まる、と思わせるような演技でした。ソチ五輪の羽生を見て、このペトレンコを思い出した人は少なくなかったのではないでしょうか。
五十嵐さんの解説で。




カルガリー五輪経験者、というと当然コンパル世代なわけで、時代的にも全種のトリプルジャンプの技術が行き渡り、エッジエラーも回転不足もほとんどなく、クワドにも手が届こうか、という時期の選手たちです。
そして、コンパルで足元を鍛えられている分、つなぎをはさんでも自在にトリプル、ダブルの各ジャンプが跳べていました。
また、この年代の選手たちは、現在でいうショートプログラムに規制が多く、カルガリー五輪では「コンビネーションジャンプは2Loを含むもの」とされていたため、上位男子はセカンドループ祭りです(セカンドTよりもセカンドLoのほうが遥かに難しい為)
カルガリー五輪男子SP上位者演技
ですから、フリースケーティングにセカンドT、セカンドLoの両方を組み入れることのできる選手が多かったのです。
そして現在ではハーフループしか認められていませんが、様々な表外ジャンプを挟んだジャンプシークエンスの多彩さは、高難度ジャンプに勝るとも劣らないものです。



その代表格と言えるのがカート・ブラウニング。彼もまたカルガリー五輪経験者です。
カルガリー翌年のワールド。2A-1Lo-3S、クワド、セカンドTの変形空中姿勢、そしてつなぎの濃さに注目。
SPのダイジェストやインタビューが入っています。演技はここから


もう一つ、カートのものを。最近町田くんやポゴリラヤちゃんがやりましたが、実は私のマイベスト火の鳥はこのカートです。
セカンドT、セカンドLoも健在。 終盤のイーグル~スパイラル~イーグル~3Tと続くところが雄々しくてかっこよい。そして、最後までスピードがおちない!




そして、ペトレンコ。ソ連崩壊で練習も満足に出来ず、プロの作成も思うに任せなかったため、これが彼のトレードマークのようになりました。スケーティングの緩急、一蹴りの伸びに注目。
アルベールヴィル五輪です。




また、、スケーティングといえば忘れられないのがポール・ワイリー。彼は素晴らしいエッジさばきをいかして、プロスケーターとなってからもたくさんの名プロを残しています。
彼のプロコンペでの名プロ→シンドラーのリスト
アルベールヴィル五輪の演技です。
SPトップだったペトレンコがFSでいくつかダブっているので、当時の順位は席次数換算でしたが、現在の点数制だったらペトを抜いて金だったかも。




ベテランになって表現力の増したファデーエフの「禿山の一夜」。’89年のユーロです。
正確な技術と濃いつなぎは健在。新採点移行の際、TRの優れている指標にされたとも言われる選手です。



旧採点プロがつなぎが薄い、と誤解されがちなのは現在のようにルールが明文化されておらず、どうすれば点が上がるのか、を選手たちが模索していた面も大きいと思います。いかに難しいことをやるか、個性を出すか。ですから、冠技(タノジャンプなど)が多く現れたのもこの時代です。

特にステップシークエンス。現在では「体を大きく使うこと」がルール上明確になっていますが、当時はそうではありませんでした。もちろん上体を動かしながらステップを踏む方が直立した状態よりもはるかに難しいわけで、それを行っていた選手も数少ないながらいました。ここに上げてきたのはそういった選手の一部です。
また逆に、エッジを深くする、ということは体を倒す、ということだけではないのです。膝や股関節、足首をうまく使い、上体を立てたままでも深いエッジでターンやステップを行うことのできる選手も多くいます。上にあげたワイリーやファデーエフがそうですが、特にコンパルソリー経験者にそれが多く見られると思います。


最後に、それがよく現れているプロを2つ。特に足元、エッジの傾き、膝の使い方に注目してください。


カート・ブラウニング「カサブランカ」。1993年ワールド優勝時の演技です。セカンドT,セカンドLoともに入ったスケールの大きい名プロです。このプロでフィギュアスケートにハマった、という方も少なからずいるのではないでしょうか。



アレクセイ・ウルマノフ「サーカスの女王」(写真) 1995年、ネイションズ・カップのものです。このプロはクワド入りのバージョンもありますが、プログラムの完成度としてはこちらが高いように思います。セカンドT,Lo、インサイドアクセルからのジャンプSEQ,そして深いエッジにご注目ください。



しかし、なるべく多くの選手を、と思いつつ書いたつもりですが結構偏ってますね(笑)

やっぱり、カートすげえ!になってしまいました。




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コーチたちの現役時代

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先日のユーロで、リンクサイドに懐かしい顔を何人も見つけたので#でツイしたものをまとめてみました。





























特にセベスチェン(写真)は6分間練習中、選手たちよりも彼女を映してたほうが時間が長かったんじゃないかと思えるほど。
選手としてリンクを退いても、こうして立場を変えて戻ってくれる人々が居るのは本当に嬉しいことです。



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みなさま 。・:*:・゚Merry Christmas♪! クリスマスの晩に見たいプロ


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クリスマスイブですね!みなさまv(゚∇^*)>o⌒☆merry X'mas☆ミ!
XOIや日本も含めて各国ナショナルの結果や予定が入ってきて、皆様お忙しいと思いますが、今日はクリスマスにちなんだ動画を上げてみました。

ちと古めですが、みな足元が素晴らしくて、出来るなら大画面で、いや直接見たい、と思わせるものばかりです。

O Holy Night ポール・ワイリー 1993


きよしこの夜 トッド・エルドリッジ 1999


Christmas Is トッド・エルドリッジ 2008 



そしてこちらはクリスマスとは関係ないですが、男女シングルスケーター、ペアスケーターのコラボということで

メリー・ポピンズ カタリナ・ヴィット、ポール・ワイリー、ゴルデーワ&グリンコフ




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プロフィール

Dora Quadski

Author:Dora Quadski
確かにフィギュアはジャンプだけじゃないですが・・・でも、やっぱりジャンパー・タイプのスケーターが好きです。
最近応援しているのは、ロシアのセルゲイ・ヴォロノフと、2009年に国別で来日した際に惚れ込んだコンスタンチン・メンショフです。
日本では小塚崇彦君、町田樹君を絶賛応援中!
 
他に、 『スター・トレック』(特にTOS 、TNG)も大好きです。
中でも、P・スチュワート扮するピカード艦長の大ファンです。もちろん、P・スチュワート自身も!
ただ、性格的にはヴァルカンに憧れるクリンゴンって感じかな(笑)ウォーフとサレックに惚れてますw。

そうです、わたしはトレッキー&シャーロッキアンなのです(笑)

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